葦原王
[Wikipedia|▼Menu]

葦原王(あしはらおう、生没年不詳)は、奈良時代皇族。茅原王とも記される。天武天皇の曾孫で、従四位下山前王の子。
生涯

天平宝字5年(761年)御使麻呂と賭博飲酒中に、俄に怒りを発し麻呂を刺殺した。そして、そのにして股肉をに切り刻み食してしまった。ほかにも余罪があったが皇族のため、淳仁天皇により死罪を免れ、龍田真人の賜姓を受け臣籍降下の上、子女6人とともに種子島配流された[1][2]
人物

生まれつき凶悪な性格で、好んで酒を飲ませる店で遊んだという[1]
系譜

父:
山前王[1]

母:不詳

妻:不詳

男子:仲嗣王[3]


脚注^ a b c続日本紀』天平宝字5年3月24日条
^類聚国史』巻87「刑法部」一 天平宝字5年3月24日条
^ 『系図纂要』

参考文献

『類聚国史 3』
八木書店 、2002年

『続日本紀』3 新日本古典文学大系15 岩波書店、1992年

宇治谷孟『続日本紀』(中巻)講談社学術文庫、1992年

『日本人名大辞典』講談社、2001年

関連項目

長野女王…同じく、殺人の罪で配流された皇族。


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:3834 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef