葛西御厨
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葛西御厨(かさいのみくりや)は下総国葛飾郡南部にあった、中世の寄進型荘園の一つで、伊勢神宮御厨

永万元年(1165年)、葛西城(現在の東京都葛飾区青戸)に居住していた葛西清重が、上木毛河、篠崎など周辺領内33郷を寄進して成立した[1]。領家口入職(りょうけくにゅうしき)は当初は卜部氏であったが、のちに神宮外宮禰宜の度会氏が世襲した。江戸期には武蔵国に属し、西葛西領/東葛西領が存在した[1][注釈 1]。明治初期の金町村、上木下川村、下木下川村、上篠崎村、下篠崎村がこれにあたるという[1]。現在の東京都葛飾区、江戸川区の一部とされる。
脚注
注釈^新編武蔵風土記稿』では巻ノ21葛飾郡ノ2から巻ノ25葛飾郡ノ6が西葛西領、巻ノ26葛飾郡ノ7から巻ノ29葛飾郡ノ10が東葛西領[2]

出典^ a b c 清水『葛西御厨』。
^ 新編武蔵風土記稿.

参考文献

清水正健「下総国 葛西御厨」『荘園志料』 下巻、昭和8年(1933年)。
NDLJP:1917930/245。 

『新編武蔵風土記稿』 巻ノ20葛飾郡ノ2、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/63。 

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