葛井欣士郎
[Wikipedia|▼Menu]

葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 - 2014年4月30日)は、映画館経営者、映画・演劇プロデューサー。日本アート・シアター・ギルド(ATG)の主要な映画館「アートシアター新宿」総支配人として、また、ATG映画の製作者として知られる。妻は村井志摩子
来歴・人物

三重県伊勢市生まれ[1]。1951年、早稲田大学文学部芸術学科卒業後、三和興行に入社[1]

1961年の日本アート・シアター・ギルド創設に参加。1962年には、三和翼下で、ATGの映画を上映する映画館「アートシアター新宿」が設立され総支配人に[1]。1963年からは、映画だけではなく、前衛演劇も上演するようになる。1967年には映画館の地下にアングラ小劇場「蝎座」を設立。美輪明宏蜷川幸雄の劇場デビューの場ともなった。

1967年今村昌平監督の「人間蒸発」を第一作に、独立プロと提携、自主製作も開始、提携作品の企画、製作を担当[1]。多くの前衛的な映画・演劇を送り出した。1975年、「新宿文化」は一般の商業映画上映館になり支配人を辞任[1]、ATGは海外の芸術映画配給を打ち切った[1]

2014年4月30日、呼吸不全のため東京都新宿区の自宅で死去[2][3]。88歳没。
制作作品
映画

無常(1970)監督:実相寺昭雄

儀式(1971)監督:大島渚

沈黙 SILENCE(1971)監督:篠田正浩

あらかじめ失われた恋人たちよ(1971) 監督:清水邦夫 田原総一朗

天使の恍惚(1972) 監督:若松孝二

夏の妹(1972) 監督:大島渚

音楽(1972)監督:増村保造

讃歌(1972)監督:新藤兼人

股旅(1973)監督:市川崑

戒厳令(1973) 監督:吉田喜重

心(1973) 監督:新藤兼人

卑弥呼(1974) 監督:篠田正浩

キャロル(1974) 監督:龍村仁

竜馬暗殺(1974) 監督:黒木和雄

田園に死す(1974) 監督:寺山修司

本陣殺人事件(1975) 監督:高林陽一

ピータソンの鳥(1976) 監督:東由多加

金閣寺(1976) 監督:高林陽一

歌麿 夢と知りせば(1977)監督:実相寺昭雄

聖母観音大菩薩(1977) 監督:若松孝二

西陣心中(1977) 監督:高林陽一

?北村透谷? わが冬の歌(1977)監督:山口清一郎

サード(1978) 監督:東陽一

往生安楽国(1979)監督:高林陽一

幸福号出帆(1980) 監督:斎藤耕一

演劇

近代能楽集熊野(1967) 演出:堂本正樹

「ダッチマン」「トイレット」(ルロイ・ジョーンズ)

「囚人たち」(ジャン・ジュネ

「唐版瀧の白糸」(三島由紀夫

など
受賞歴

1965年 - 芸術祭奨励賞(ルロイ・ジョーンズ
「ダッチマン」公演)

1967年 - 日本映画ペンクラブ賞(前衛的映画の製作上映活動)[4]

1976年 - 京都映画祭マキノ省三賞

著書

アートシアター新宿文化 消えた劇場 創隆社 1986

遺書 アートシアター新宿文化のすべて 葛井欣士郎,
平沢剛 河出書房新社 2008

訳書

クリスマス・エンジェルの冒険―星きららの奇跡 ジョセフ・E.B・ヘンドリクソン , ラ・バーン・ビーバー著 創隆社 1989

脚注^ a b c d e f 日外アソシエーツ現代人物情報
^ “葛井欣士郎さん死去 映画・演劇プロデューサー”. 朝日新聞. (2014年5月1日). ⇒オリジナルの2014年5月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/4fc8L 2018年10月7日閲覧。 
^ “葛井欣士郎氏が死去 大島渚、市川崑監督作品などプロデュース”. スポーツニッポン新聞社. (2014年5月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/05/01/kiji/K20140430008075700.html 2018年10月7日閲覧。 
^ “第1回 1967年7月贈呈”. 日本映画ペンクラブ (2019年4月30日). 2021年8月8日閲覧。

典拠管理
全般

ISNI

1


VIAF

1


WorldCat

国立図書館

ドイツ

アメリカ

日本


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:10 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef