日本の政治家葉梨 康弘はなし やすひろ
公式肖像写真(2016年撮影)
生年月日 (1959-10-12) 1959年10月12日(64歳)
出生地 日本 東京都
出身校東京大学法学部卒業
前職警察庁刑事局少年課理事官、衆院議員秘書
所属政党自由民主党(岸田派→無派閥)
称号法学士 (東京大学)
子女葉梨彩子(長女)
親族義祖父・葉梨新五郎[1](衆議院議員)
義父・葉梨信行[2](第36代自治大臣、第45代国家公安委員会委員長、衆議院議員)
公式サイトはなし康弘のページ
葉梨 康弘(はなし やすひろ、1959年(昭和34年)10月12日 - )は、日本の政治家、元警察官僚。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党国会対策副委員長。パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー、IR議連副幹事長、自民党パチンコ議連事務局次長。
法務大臣(第106代)、農林水産副大臣(菅義偉内閣)、自民党総務部会長、法務副大臣兼内閣府副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣、第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、衆議院法務委員長を歴任した。
養父は自治大臣、国家公安委員会委員長、衆議院議員を歴任した葉梨信行(結婚時に信行と養子縁組した)[2]。養祖父は中央新聞、日本電報通信社(後の電通)の記者を経て衆議院議員を務めた葉梨新五郎[1][3]。旧姓は渡邉(わたなべ)。 東京都出身(現住所は茨城県取手市新町1丁目[4])[5]。実父は医師の渡邉武治[6]。東京教育大学附属駒場高等学校(現・筑波大学附属駒場高等学校)、東京大学法学部卒業後、1982年、警察庁入庁。警察庁刑事局防犯課、岩手県警察本部刑事部捜査第二課長、兵庫県警察本部刑事部捜査第二課長、外務省在インドネシア日本国大使館一等書記官を歴任した。衆議院議員の葉梨信行の娘と結婚。信行と養子縁組した[2]。 1999年、警察庁を警視正で退職[7]。同年3月、葉梨信行の秘書になる[8]。 2003年の第43回衆議院議員総選挙に茨城3区から、葉梨信行の後継として立候補し、初当選した。 2005年の第44回衆議院議員総選挙で再選。自由民主党畜産酪農対策小委員会委員長・農林部会部会長代理を歴任。 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に茨城3区から立候補したが、落選。 2012年12月、第46回衆議院議員総選挙に茨城3区から立候補し当選、国政に復帰。2013年9月、財務大臣政務官に就任。 2014年9月4日、第2次安倍改造内閣で法務副大臣に就任[9]、同月12日、兼ねて内閣府副大臣に就任した[10]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙に茨城3区から出馬し4選。 2016年1月、衆議院法務委員長に就任。同年8月、自民党総務部会長に就任[11]。 2017年8月7日、第3次安倍第3次改造内閣で再び法務副大臣兼内閣府副大臣に就任[12]。同年10月の第48回衆議院議員総選挙に茨城3区から立候補し5選。 2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で6選。 2022年8月10日に発足した第2次岸田第1次改造内閣において法務大臣として初入閣した[14]。 同年11月9日、武井俊輔の政治資金パーティーに出席した際、「法務大臣は死刑のはんこを押す地味な役職」「統一教会に抱きつかれてテレビに顔が出た」「法相になっても金にも票にも縁がない」と発言(後述)。これらの発言は即日報道されて社会問題となった[15][16]。2日後の11月11日、岸田文雄首相に法務大臣の辞表を提出し、受理された。事実上の更迭とされる。後任は元農林水産大臣の齋藤健が起用された[17][18][19]。
来歴
衆議院議員
法務大臣
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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