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出典検索?: "落雁"
落雁(らくがん)は、米や豆、蕎麦、栗などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して固めて乾燥させた“打ちもの”と呼ばれる干菓子である。 茶席菓子、供物定番の伝統的な和菓子だが、そのルーツは西アジアから中央アジアと云われている。中国を経由し、室町時代に「日明貿易」を通じて日本へと伝わった。 日明貿易ルート以外にも、江戸時代には中国から長崎に伝わった落雁(口砂香/こうさこ)もある。 名称の由来には諸説あり、明の軟落甘 (なんらくかん)[1] から「軟」が欠落して転訛したという説や、形が落雁に似ているところから近江八景の一つ「堅田落雁」になぞらえたという説などがある。 なお、落雁という言葉の意味は、「空から舞い降りる雁」のことを言い、秋の季語でもある。 三原市歴史民俗資料館に展示されている落雁が現存最古の和菓子とみられている。1818年に西町の川口家の人物が華陽院(静岡市)から持ち帰ったものである[2]。 落雁の製法には二通りある。 通常は、前者は落雁、後者は白雪?(白雪羹)(はくせつこう。関西などでは「はくせんこ(う)」とも)と呼ばれるものである。 製法は明時代の中国における軟落甘に基づく。これは小麦粉・米粉を水飴や脂肪で練り固めて乾燥させた菓子で、西?中央アジアに由来するといわれ、元時代に中国に伝来した。 これが室町時代に日明貿易で伝わり、茶道の勃興によって広まった。なお、中国にはこの軟落甘が現在も存在しており[要出典]、長崎市には軟落甘が江戸時代に再上陸したものとしてこうさこ(口砂香)と言われる落雁がある。 江戸時代には加賀藩が大々的に製菓事業に対して奨励策を取ったことから、金沢市では落雁の技術が進化しており、長生殿はこうした成果の一つである。なお、この原料である糒は軍事作戦には不可欠の食料であるため、奨励策は軍備維持における糒の在庫処分ではないかという説もある。 また、松江藩でも松平治郷(松平不昧)が茶の湯と共に和菓子を奨励したため、山川という落雁を生み出しており、前述の越乃雪・長生殿と共に日本三大銘菓として挙げられている。 このように茶席菓子や供物などに用いられることが多かったことから、茶の湯では薄茶
概要
製法
すでに蒸して乾燥させた米(糒(ほしい、干飯))の粉を用い、これに水飴や砂糖を加えて練り型にはめた後、ホイロで乾燥させたもの。
加熱していない米の粉を用いて1.同様に水飴を加え成型し、セイロで蒸し上げた後、ホイロで乾燥させたもの。
後者は新潟県長岡市の越乃雪(越の雪)が有名である。ただし、改良の末、前者に限りなく近い製法となっている。
変種
諸越(もろこし)- 秋田県の伝統菓子。小豆の粉と砂糖が主原料。名前の由来は久保田藩四代藩主佐竹義格に献上された際、「諸々の菓子を越えて風味良し」との評価を得たことから。
しおがま(志ほがま) ‐ みじん粉(もち米を蒸して煎るなどして粉にしたもの)、和三盆、塩、塩漬けのしその葉を合わせ押し固める製法。名前の由来通り宮城県塩竈市に伝わる伝統の高級和菓子。
栗落雁(くりらくがん)- クリを加熱して挽いた栗粉で作るもの。長野県小布施町、飯田市などで作られている。
麦落雁(むぎらくがん)- 大麦を加熱して挽いた粉であるはったい粉で作るもの。群馬県館林市、長野県松本市、新潟県上越市、京都市、滋賀県大津市など、各地で作られている。