落書き
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この項目では、落書きについて説明しています。スプレーなどで書かれたものについては「グラフィティ」をご覧ください。
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面に描かれた落書きの例(1997年8月、渋谷駅近辺)JR北海道西帯広駅跨線橋での落書き(2004年8月、奥(右上)側)ブラジルサンパウロ市の建物内の落書き(2009年)。

落書き(らくがき、落書、いたずら書き)とは、以下のようなものである。
文字文章)やで、他者の保有財産を汚損する犯罪違法行為。書かれた場所・モノの所有者にとって無価値どころか、損害を招く行為。落書き行為者に対して、罰金を設けたり、厳罰化すると数が減ったことから、日本では罰則を設ける地方自治体が増えている[1]。刑罰があっても罪が軽い状態だと、落書き防止に役立たないどころか遵法精神低下など悪影響を招く[2]

またはそれらの行為によって記された文字図表景観を乱し、割れ窓理論によって、犯罪の増加にも繋がるため、防犯カメラ等で検挙し、原状回復費用請求と早期に消すことが大事である[3]

幼児児童が、自宅の壁や床など、主に家族の所有する財産に、文字(文章)や絵をいたずら書きする行為[4]

概要

この行為、またはそれによって書かれたものは、多くの場合において、第三者にしてみれば意味が無く、財産の所有者にとって、損害をもたらすものである。割れ窓理論によって、更に治安の悪化を招く[1][3]

が貴重であった時代くらい、古い時代に書かれた場合でのみ、民俗学などに於いて当時の風俗文化を知る上で大きな手掛かりとなるケースもある。

幼児児童が主に家庭内や親族の所有物に行うモノも「落書き」と称されるが、学生や成人が他者の財産を無許可で毀損する「落書き」とは意味の異なるモノである[4]
古典における落書きボートに乗る人々を描いたグラフィティ。古代の落書きの博物館、フランス

語源としては、古くは落書(らくしょ、おとしがき)と呼ばれる、特定の誰かを揶揄したり風刺する意図で、対象人物の家の門や壁に貼られた、またはわざと目に付く場所に落とされた匿名文章の様式が存在したが、恐らくこれが今言うところの落書きになったとみられる。


へのへのもへじヘマムシヨ入道

日本には古くから「へのへのもへじ」や「ヘマムシ入道(またはヘマムシヨ入道)」等の文字遊びとしての落書きが存在し、今でもこれを描く人も見られる。(ヘマムシ入道に関しては、広辞苑の同項に図が見られる)現在にも伝わっている落書には、建武の新政における混乱を風刺した『二条河原の落書』が知られている。



古代ローマにおける落書きポンペイに残された選挙の落書き。民衆の話し言葉、俗ラテン語で書かれており貴重な資料である。

ヴェスヴィオの噴火により埋没したポンペイでは、古代の町並みをそのままの姿で見ることができる。こうして現代に残った古代の建物の壁面には多数の落書きが残されており、古代ローマ時代にはどの町にも同様の落書きがみられたと考えられている。

落書きのなかには、公職立候補者の選挙の際に各建物に大書された推薦や誹謗の落書きや、剣闘士試合の告知があり、こうしたものは専門の業者の手によって書かれたと考えられている。他方で、酒場の戯言や恋人同士の伝言など一般人の手によると思われる落書きも多く、ここから当時の庶民階層の識字率の高さを指摘する意見もある。[5]



アンコールワットの侍の落書き

アンコール・ワット遺跡には、寛永9年(1632年)に同地を訪れた江戸初期の武士・肥前松浦藩士の森本右近太夫が筆と墨で残した落書きが見られる。当時、日本の商人や浪人たちが多数東南アジアに住んでおり、こうした人々によってアンコール・ワットは「祇園精舎」の跡地であるという誤った情報が日本に伝わり、多くの人々が海をわたり祈りのために訪れた。アンコール・ワットはこの落書きが書かれた後に一旦忘れ去られ、1860年にフランス人学者のアンリ・ムーオにより再発見された。

「父母の菩提(ぼだい)のため、数千里の海上を渡り…」と記された森本右近太夫の記念の落書きのほか、十数箇所の日本人の落書きが1960年代までは残っていた。一度ポル・ポト派の手によってペンキで塗り潰されていたが、現在では森本右近太夫の落書きはペンキの風化によって再び(部分的ではあるが)読めるようになっているという。2003年11月21日には右近太夫の15代目の子孫がこれに対面を果たした。




南米の古代文明における落書き

グアテマラマヤ遺跡ティカルの建物からは、草ぶき屋根の神殿や輿に乗った貴族などを描いた落書きが発見され、当時の社会や生活の様子を描いた興味深いものとして知られている。
ロンドン塔の落書き

英国ロンドン塔は建築の約1080 - 1100年代以降その長い歴史の中でテムズ川の防御を担うと共に、英国王の居城としても、その一部は牢獄(身分が高い人では、使用人を置くことも許される、それなりに恵まれたものではあったが)としても利用されていた。このため随所に関係者や収容されていた者の落書き(石や漆喰に彫り込んだもの)が残されている。その中には当時の権力闘争に敗れた著名人(権力者)の落書きとするにも余りに緻密なメッセージが見られる。
被曝伝言・被災伝言

広島県広島市広島市立袋町小学校被曝建造物として校舎の保護活動[6]が行われていたが、老朽化により2000年8月7日より解体作業が行われた。この際に黒板の下などから当時の、避難した人の消息を伝える数多くの被曝伝言が発見されている。現在では切り取られた壁面などが平和教育用の資料として保存・公開[7]されている。

また震災等の大規模災害では通信網の分断や情報の混乱が発生し、家族と離れ離れになる人も出てくる。阪神・淡路大震災では、行方不明者や尋ね人の情報が避難所として利用されていた学校施設の壁に掲示・または書き記された。現在では当時の資料として写真の形でその多くが記録されている。
ベルリンの壁の落書き

1961年から東ドイツ政府は東西ベルリンを遮断し有刺鉄線を、のちに石壁を西ベルリンを囲むように張り巡らせ、1975年にはコンクリートの155kmに及ぶ壁が完成した。東側からは幅100mの無人地帯のため立ち入ることができなかったが、西側からは接近することができたため、壁の建設をなじり撤去を求める政治的な落書きが出現するようになった。やがてさまざまなメッセージや色鮮やかなストリートアートが西側の壁を彩ることになった。

落書きが多かった西ベルリン側の壁

郡山八幡神社の落書き

郡山八幡神社の本殿解体修理時に、木材に木片が打ち付けられているのが発見された。そこには永禄2年(1559年)8月11日の日付とともに「其時座主ハ大キナこすてをちやりて一度も焼酎ヲ不被下候(くだされずそうろう) 何共めいわくな事哉(ことかな)」(今回の施主はたいへんけちで一度も焼酎を振る舞ってくれなかった。なんともひどい話だ。)と書かれており、施主に対する愚痴を綴っただけの落書きであるが「焼酎」の語を使用した最も古い文献とされている。落書きがされている板は頭貫と呼ばれる水平材であり、打ち付けられている状態では見えないようになっていた[8]

「焼酎」の語が使用された最古の文献とされる落書き




インターネットでの「落書き」

「価値のない情報が氾濫する場」という意味で、電子掲示板に書かれる内容を、「便所の落書き」に例えることがある。由来としては、新世紀エヴァンゲリオン庵野秀明監督が、インターネット上のチャット通信について「便所の落書き」と批判したことにある[9]。また東芝クレーマー事件において筑紫哲也が自身の番組中、インターネット上の情報を、「かなり恣意的で、トイレの落書きに近い、などという酷評すらあります」と報じた[10]

インターネットの普及によって、電子掲示板や個人・団体のウェブサイト上にも、様々な落書きがみられる。荒らし行為によるものから、特定個人・団体に対する中傷もあり、中には訴訟事例に発展する事例も多い。意図してそのようなモノを公開するのは論外と言えるが、他方では意図せずそうなってしまうケースもあるため、注意が必要であると共に、掲示板管理者などにより、一定のガイドラインが示されている場合も見られる。
現代の落書き問題

現代社会で文化財のような公共財産を含む他者の財産への落書きによる汚損や破壊・落書きを放置すると治安悪化と落書き増加を招くこと・消す費用のが圧倒的に高いこと、その費用を被害者が負うこと、問われる罪が軽過ぎることが問題になっている[11][12][13][14][15][16]。落書きをする人々は、犯罪でしか自己顕示欲や承認欲求を満たせない「つまらない人間」であり、犯罪者として法的責任を負わせる必要がある[11]。一つ許すと模倣犯も増殖する。彼らは「アート」と主張するが、自己の財産以外への落書きは犯罪行為であり、器物損壊罪等にあたり、3年以下の懲役または30万円以下の罰金に課せられる。現場を直撃された落書き犯はかつ「自分は書きたい場所に書いているだけ。人の家だろうが、公共だろうが、国のなんちゃらだろうが。」「みんなそういうの思い思いに書いたりするのがアートなんで。それで成り立っている世界なんで。」と主張している。落書きされた財産の持ち主らからの依頼で落書消し業者の男性は、 書くのは簡単だろうが「消すのは大変」と指摘している[12]


フィンランドにある落書きされたルーフフェルト工場の廃墟

公共施設や他人の家屋・店舗などに勝手にペイント書きをする行為は、各国の法律において器物損壊、犯罪行為であり、落書きという様式の暴力ヴァンダリズム)である。

特に他人を誹謗・中傷する意図で攻撃的な文言を書き残した場合は、脅迫の範疇によって扱われる。これは刑法にいうところの器物損壊としてれっきとした犯罪行為であるとともに道徳的に見ても公共良俗を損なう行為である。
建造物・天然記念物への落書き

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出典検索?: "落書き" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年11月)

歴史的建造物に来訪者が落書きを残すケースは多く、1980年代 - 1990年代には日本人観光客らが訪れた国の文化財とされる歴史的建造物を汚損したとして逮捕される事例も度々出て問題視された。万里の長城では、観光客らによる落書き(彫り込んだもの)などにより、風化が進むことが懸念されている。


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