落下傘連隊_(イギリス陸軍)
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落下傘連隊
Parachute Regiment
エンブレム
創設1942年
所属政体 イギリス
所属組織 イギリス陸軍
部隊編制単位連隊
兵科空挺兵
所在地 イングランド
コルチェスター
上級単位第16空中強襲旅団戦闘団
主な戦歴第二次世界大戦
北アイルランド問題
シエラレオネ内戦
イラク戦争
指揮官アンドリュー・ハリソン中将
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落下傘連隊のトレードマークである赤いベレー帽を被り、ロンドン市長就任パレードで行進する空挺兵士(2006年)

イギリス陸軍落下傘連隊(イギリスりくぐんらっかさんれんたい、英語: Parachute Regiment)は、イギリス陸軍第16空中強襲旅団戦闘団隷下の空挺部隊。パラシュート連隊と表記することもある。

イギリス軍の精鋭とされる空挺連隊であり、特殊作戦の補助を行う1個大隊と、通常の空挺部隊である2個大隊、予備役1個大隊によって構成されている。第二次世界大戦北アイルランド問題シエラレオネ内戦イラク戦争とイギリスが関与した戦争の多くに参加した。
歴史
第二次世界大戦ノリッジにて訓練を行う落下傘連隊の兵士(1941年)
創設

1940年頃にドイツ国防軍降下猟兵の成功を受け、ウィンストン・チャーチル首相の命令によって5,000人の空挺兵が編成された[1]。そうして創設された第2コマンドー部隊は、イタリアのコロッサス作戦に参加した後、第11特殊空挺大隊(11th SAS Battalion)と改称され、最終的に第1空挺大隊に再編された。第1空挺大隊は第1空挺旅団の隷下に置かれ、同旅団には第2空挺大隊、第3空挺大隊が所属していた。

1942年には第2空挺旅団が設立され、義勇兵による第4空挺大隊のほか、第6クィーンズオウン・キャメロン・ハイランダーズ出身の第5空挺大隊、第10ウェールズ・フュージリア連隊出身の第6空挺大隊が所属した。これらの拡大により、イギリス軍には最終的に17大隊編成の空挺部隊[1]が存在するようになった。

また、イギリス領インド帝国には、第50インド人落下傘旅団[注 1]が設立された。同旅団は第151空挺大隊(イギリス兵)[注 2]、第152空挺大隊(インド兵)、第153空挺大隊(グルカ兵)により構成されていた[2]
参戦

1942年2月のビッティング作戦で落下傘連隊として初めて実戦に参加。同年11月にはモロッコアルジェリアに派遣。1943年にはチュニジア戦線やイタリアでのスラップスティック作戦1944年ではフランスでのトンガ作戦に参加するなど、数々の重要な作戦で戦った。

また、この頃から暗い赤色のベレー帽を着用しており、「赤い悪魔(the Red Devils)」というニックネームが付けられた[注 3]
冷戦時アデンでの任務に参加する落下傘連隊(1956年)
植民地紛争

大戦終結後の1945年、落下傘連隊は第16落下傘旅団に編入される。その後は植民地解放紛争に次々と直面し、パレスチナではユダヤ人の極右レジスタンスレヒ」と交戦し、1951年には第二次中東戦争に投入された。その他、1960年代にはイエメンでのアデン危機や、マレーシアインドネシア間紛争に投入された。
北アイルランド問題

1970年代、落下傘連隊は北アイルランドにてIRA暫定派とのゲリラ戦に直面した。1972年、第1大隊はロンドンデリーで発生したデモを鎮圧する任務に従じたが、その際発生した混乱から大隊は群衆を銃撃し、アイルランド系住民14人を射殺してしまう結果となった(血の日曜日事件)。

さらに1972年の2月、血の日曜日事件の報復としてアルダーショットに存在した落下傘連隊の拠点がIRA暫定派に爆破され、拠点にいた一般人7人が死亡[3]。また1979年にはワーレンポイントにて、第2大隊が他のイギリス兵らと共にIRA暫定派に奇襲され、隊員6人が死亡した[注 4]
フォークランド紛争

1982年にはフォークランド紛争に投入。グース・グリーンやワイヤレス・リッジでの戦いに参加した。特にグース・グリーンではアルゼンチン軍との激しい攻防の果てに第2大隊のハーバート・ジョーンズ中佐ら18人が戦死した(ジョーンズ中佐は死後、ヴィクトリア十字章を受勲)。
冷戦終結後
コソボ紛争
イラクで活動している落下傘連隊第3大隊の兵士

1999年にはコソボ紛争にて他のNATO諸国の部隊と共にコソボ軍の支援を行った。落下傘連隊はマケドニアに拠点を置き、プリシュティナにて紛争状態の鎮圧に当たった。
シエラレオネ内戦

2000年、シエラレオネにおけるイギリス軍の軍事介入に参加。ルンギ国際空港を拠点にし、同年6月には落下傘連隊のパスファインダー小隊がRUFと交戦し、これを退けた。


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