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萱場 軍蔵(かやば ぐんぞう、1893年(明治26年)9月11日 - 1979年(昭和54年)11月15日)は、日本の内務官僚。いわゆる内務三役(内務次官、内務省警保局長〈現在の警察庁長官に相当〉、警視総監)を全て経験した。 宮城県名取郡東多賀村(現・名取市)出身。私立東北中学校(現:東北高等学校)[1]、第二高等学校、東京帝国大学法学部卒業。高等文官試験行政科に合格して内務省に入省。 1934年(昭和9年)、栃木県知事に就任。1936年(昭和11年)に二・二六事件が発生して警視庁上層部が更迭されると同年3月に警保局長に任じられた[2]。1937年(昭和12年)、岡山県知事に就任。1939年(昭和14年)、警視総監に就任。1941年(昭和16年)、内務次官に就任。1942年(昭和17年)、内務次官を辞任した。 第二次世界大戦後、連合国軍総司令部 (GHQ) によって公職追放を受けた。1979年(昭和54年)11月15日死去。享年87(満86歳没)。 公職
経歴
脚注[脚注の使い方]^ 『第二高等学校一覧』第二高等学校、1913年、159頁。
^ 二・二六事件で警視総監ら更迭『東京朝日新聞』昭和11年3月13日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p516 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
親族
大野健雄は娘婿。
先代
挟間茂 内務次官
第45代:1940年 - 1941年次代
湯沢三千男
表
話
編
歴
警視総監 (第45代:1939)
大警視
川路利良
大山巌
樺山資紀
警視総監
現・警察法
施行前
樺山資紀
大迫貞清
三島通庸
折田平内
田中光顕
園田安賢
山田為暄
園田安賢
西山志澄
大浦兼武
安楽兼道
大浦兼武
安立綱之
関清英
安楽兼道
亀井英三郎
安楽兼道
川上親晴
安楽兼道
伊沢多喜男
西久保弘道
岡田文次
岡喜七郎