萬代橋
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この項目では、新潟市の萬代橋について説明しています。その他の萬(万)代橋については「万代橋」をご覧ください。
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この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。(2013年2月)

萬代橋
萬代橋
基本情報
日本
所在地新潟県新潟市中央区
交差物件信濃川
用途道路橋
路線名国道7号
管理者国土交通省北陸地方整備局新潟国道事務所
設計者福田武雄(橋梁本体)
山田守(装飾)
着工第3代 : 1927年(昭和2年)7月16日
竣工初代 : 1886年明治19年)
第2代 : 1909年(明治42年)
第3代 : 1929年昭和4年)
開通第3代 : 1929年(昭和4年)8月23日
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度55分10.61秒 東経139度3分10.97秒 / 北緯37.9196139度 東経139.0530472度 / 37.9196139; 139.0530472 (萬代橋)
構造諸元
形式充腹式上路アーチ橋6連
材料鉄筋コンクリート
全長306.9 m
幅21.9 m
最大支間長42.4 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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国道7号標識国道8号標識国道17号標識国道113号標識国道350号標識

萬代橋(ばんだいばし/よろづよばし)は、新潟県新潟市中央区信濃川に架かる国道7号(重複: 国道8号国道17号国道113号国道350号)の道路橋梁。国の重要文化財に指定されている。新潟市の信濃川に架橋された初めての橋で、1886年明治19年)に初代橋が竣工された。

東大通、萬代橋通り柾谷小路とを結び、新潟駅万代口から万代シテイを経て古町に至る中央区中心部のメインストリートの一部を成す。
概要

萬代橋遠景重文指定を機に、橋梁上の街路灯も架橋当初の原型に復元された。

第3代となる現橋は1929年昭和4年)6月に竣工、側面に御影石(花崗岩)の化粧板を施した6つのアーチを連ねる鉄筋コンクリート橋である。橋長306.9 m、幅員22.0 m。車道は片側2車線の計4車線で、車道両端に自転車歩行者道を備え、橋梁両詰には橋詰広場が計4箇所設けられている。また橋梁両詰には人道函渠(ボックスカルバート)が各1箇所設けられ、西詰(左岸側)は新潟市道川岸町下大川前通線(信濃川左岸線)、東詰(右岸側)は新潟市道信濃川右岸線をそれぞれ立体交差によりオーバーパスしており、両市道の歩道との間には橋詰広場とを連絡する階段が設けられている。

現橋梁は当初、車道の中央部に路面電車軌道を通す併用軌道の橋梁[注 1]として設計されたが実現に至らず、車道は上下計4車線の道路となっている。

昭和時代初期における大規模なコンクリートアーチ橋の貴重な現存例であり、新潟市のシンボルとして、またランドマークの1つとして広く定着している。

日本の建築史上、文化的な価値が高いとして、2002年平成14年)11月23日土木学会選奨土木遺産に認定された。さらに現橋の架橋75周年を迎えた2004年(平成16年)、国の重要文化財に指定されたのを機に、漢字表記を新字体の「万代橋」から、建設時よりの橋名板表記である「萬代橋」に復した。これに伴い同年春から夏に掛けて、架橋当初の姿に復すリニューアル工事が実施された。

なお、橋梁名は1886年明治19年)の架橋当初は「よろづよばし(現代仮名遣いでは「よろずよばし」)」と訓読したが、のちに音読の「ばんだいばし」へ転訛して正式の橋梁名もそれに倣い、そのまま現在に至るまで定着している。

朱鷺メッセ展望台フロアからの萬代橋

雪景色の万代橋(91年2月25日)

夜の萬代橋

地理萬代橋は中心街の柾谷小路と東大通とを結んでおり、市内交通の要衝となっている。

信濃川の河口から数えて2番目に位置する橋であり、上流側には八千代橋が、下流側には柳都大橋がそれぞれ架かっている。

左岸(北西側)の下大川前通(しもおおかわまえどおり)および川端町(かわばたちょう)地内、下大川前通と交差する萬代橋西詰交差点と、右岸(南東側)の万代(ばんだい)地内、東港線と交差する東港線十字路交差点との間に架かる。

新潟市中心部のメインストリートである柾谷小路と、新潟駅万代口に通じる萬代橋通り・東大通とを結ぶ幹線橋梁であり、国道7号(重用:国道8号、国道17号、国道113号、国道350号)の経路となっている。

萬代橋は架橋以来長きにわたり、信濃川最下流に架かる橋だった。市内中心部にあるため自動車・歩行者・自転車とも通行量が非常に多く、近年はしばしば発生する渋滞に悩まされていた。このため、1960年代には下流部を経由する有料道路「みなと大橋」の架橋構想が浮上し、1974年昭和49年)秋には建設構想が具体化したものの、オイルショック発生や市政の交代などにより頓挫した。だがその後も交通量は増大し続けたため、国と県、市は交通円滑化などを目指して1990年代から下流橋と、河口部を経由する水底トンネルの建設計画を進め、2002年平成14年)5月19日、下流部に柳都大橋(りゅうとおおはし)、河口部に新潟みなとトンネルがそれぞれ開通した。萬代橋の1日あたりの自動車交通量は、柳都大橋・みなとトンネルの開通前まではピーク時で約65,000台(1985年〈昭和60年〉)に上ったが、開通後には交通量が分散されたことによって、2002年(平成14年)6月の調査では約46,500台、さらに2010年(平成22年)の調査では約半数の32,000台と徐々に減少している。だが、この間も歩行者・自転車の1日あたりの通行量は平均で合計10,000人・台前後に上っており、信濃川に架かる新潟市内の一般道の橋ではなお最大である。萬代橋下流の右岸側にはアシが生い茂る中州が存在したが、架橋以降「万代島」(ばんだいじま)と呼ばれるようになった。また右岸側はかつて「流作場」(りゅうさくば)という地名だった。これは「作物を植え付けても、大水や洪水ですぐに流されてしまう」という、かつての立地条件に因んだ地名であるが、1970年代半ばに住居表示が実施されたことにより「万代」に改称し、昭和以降に埋め立てられ右岸側と陸続きになった先述の「万代島」も正式な地名となった。


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