萩原佐代子
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出典検索?: "萩原佐代子" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年9月)

はぎわら さよこ
萩原 佐代子プロフィール
別名義萩原 さよ子
生年月日1962年12月1日
現年齢61歳
出身地 日本東京都
血液型A
公称サイズ(2023年4月時点)
身長 / 体重165 cm / ― kg
スリーサイズ85 - 63 - 88 cm
靴のサイズ23.5 cm
単位系換算

身長 / 体重5 5 / ― lb
スリーサイズ33 - 25 - 35 in

活動
デビュー1979年
ジャンル女優
モデル内容キャンペーンガール
備考1987年に芸能界休業、後に引退、2006年芸能界に復帰
モデル: テンプレート - カテゴリ

萩原 佐代子(はぎわら さよこ、1962年12月1日 - )は、日本女優。本名:野々宮佐代子。一時期、萩原 さよ子名義で活動していた。

東京都出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業[1]日本大学経済学部卒業[2]趣味・特技は平泳ぎでゆっくりひたすら泳ぐ、筆跡診断、大気現象学鑑定。
来歴

妹がいる[3]。両親の離婚と母親の再婚を経験し、引っ込み思案になり、コンプレックスの塊だった日々という中学生時代のある日、東京・原宿ホリプロ傘下のモデル事務所にスカウトされ、高校時代からその事務所でモデルとして活動[1][4][3]

高校時代に家庭教師からカネボウレディサマーキャンペーンガール夏目雅子浅野ゆう子らを輩出)のオーディションのことを教えられて「優勝したら推薦者にも賞金が入るから」と出場を勧められ、合格してキャンペーンガールを務める[4][3]

テレビドラマ俺んちものがたり!』で女優デビュー[4]1980年に『ウルトラマン80』の星涼子 / ユリアン役で出演[4]1983年に『科学戦隊ダイナマン』の立花レイ / ダイナピンク役で出演[5][4]1985年、事務所移籍後の1986年には『超新星フラッシュマン』にレー・ネフェル役で出演し人気を博す[6]。同時に、ヌード写真集も発売した。

『フラッシュマン』出演後、アメリカ留学。芸能界を引退し、結婚。3児の母となるが、長い別居期間を経て、2004年、42歳で離婚。生命保険の外交員を務めていた。その後、『ダイナマン』にて南郷耕作 / ダイナイエロー役として共演していた時田優と再婚[7][8]。後に離婚。2006年に芸能界復帰。芸能活動の傍ら、日本ブライダル連盟公認の結婚相談所カウンセラーを務めている。

2016年から、朗読劇団「桃色旋風」[9]の副座長として、毎月一回定期的に公演を行っていたが、2020年1月のVol.39をもって卒業[10]2017年9月時点でシングルマザーであると雑誌のインタビュー[11]で答えている。
エピソード

元々特撮ヒーローは好きで、『仮面の忍者 赤影』を始めとして多くの作品を観てきて、昭和の特撮ドラマの主題歌はだいたい歌えるという[3]

『ウルトラマン80』からはプロデューサーが自分のグラビアを見て「元気な子」だと思ったことで、『ダイナマン』からはプロデューサーが前述のカネボウレディサマーキャンペーンガールオーディションの東京大会、全国大会を観覧に来て覚えていたことと、ウルトラマン80も観ていたことでそれぞれ声をかけられたという[3]。ウルトラマン80出演前に「こんな役だけど出来る?」と言われた時に、できますと即答したが、本当は自信がなかったと本人が話していたことがある[3]。そして『ウルトラマン80』『ダイナマン』『フラッシュマン』の監督であった東條昭平を非常に恐れていた[4]。『ウルトラマン80』で厳しかった東條と『ダイナマン』で再会したとき、東條は萩原に親しげに「佐代子?」と声をかけてきたが、「円谷プロダクションの監督がなぜ東映にいるのか?どうしょう、何が何だかわからないけど、怒られる!」とパニックになり、思わず後ずさりしてしまったと数々の取材で萩原は話している。しかし『ダイナマン』の際、東條に「バカ!」と言われた萩原は緊張のあまり思わず「私バカじゃありません!」と言い返してしまった[4]。このことをきっかけに「初めて東條に言い返したピンク」としてスタッフらに可愛がられるようになり[4]、後に東條からも「俺に言い返してきたのはお前が初めてだったよ」と言われたという。撮影の合間の東條は、とても優しかったそうである[7][4]

本来、運動は苦手だったため、アクションシーンの撮影では苦労したと述べている[4]。『ダイナマン』では、千葉真一ジャパンアクションクラブに入門し、トランポリンや体の回転の仕方を習い、撮影に臨んだが[12]、サポートを務めた春田純一からは「より重いものを持ったことがあるのか」と窘められたという[4]


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