萩之茶屋
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萩之茶屋
町丁
萩ノ茶屋駅
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度38分48.82秒 東経135度30分4.11秒 / 北緯34.6468944度 東経135.5011417度 / 34.6468944; 135.5011417
日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
西成区
面積[1]
 ? 合計0.208951671 km2
人口(2019年(令和元年)9月30日現在)[2]
 ? 合計7,910人
 ? 密度38,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号557-0004[3]
市外局番06(大阪MA[4]
ナンバープレートなにわ

萩之茶屋(はぎのちゃや)は大阪府大阪市西成区町名。地名の由来は、かつてこの辺りの住吉街道沿いに、「萩の茶屋」と呼ばれる茶屋があったことに由来する。
地理

西成区の北部に位置する。大阪環状線関西本線大和路線)の線路より南側、南海本線南海高野線の線路より東側、阪堺電気軌道阪堺線の線路より西側、旧南海天王寺支線廃線跡より北側の地域を指す。北で浪速区恵美須西、東で太子、南で天下茶屋北、南西で花園南、西で花園北、北西で浪速区戎本町と接する。

釜ヶ崎あいりん地区と呼ばれる日本最大の日雇い労働者の街(ドヤ街)の中心である。2020年の国勢調査によると世帯数8,445、人口9,143人(男8,514人、女629人)であり、単身男性が非常に多い[5]。11時と17時に行なわれる萩之茶屋中公園(通称:四角公園)の炊き出しや、あいりん総合センターで17時30分に配られるシェルターの利用券を求めて毎日長い列が出来ている。

近年の建設不況や労働者の高齢化により、廃業したり福祉アパートへ転換する簡易宿所がある一方、低料金を売りに、観光客や外国人旅行者の獲得に力を入れている簡易宿所もある。
歴史

元は西成郡今宮村の一部。1897年明治30年)の大阪市第一次市域拡張によって今宮村の北部が大阪市へ編入されると、当地は今宮村の北端となり、大阪市に南接するようになった。翌1898年(明治31年)の宿屋取締規則によって大阪市域における木賃宿の営業が禁止されると、長町スラム(現在のでんでんタウン周辺)から市境すぐの市外であった当地へ不良木賃宿が流れ込むに至った。

現在の町名は、当町域付近に所在した萩の植え込みを持つ二軒の茶屋(萩之茶屋)に由来する。

1869年明治2年)3月 - 西成郡今宮村が大阪府へ移管。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の実施により、西成郡今宮村単独で施行。

1897年(明治30年)4月1日 - 大阪市第一次市域拡張により、大阪鉄道(現:関西本線)以北が大阪市へ編入される。同以南の今宮村の残余は西隣の西成郡木津村の残余を編入し、元今宮・元木津の2大字を編成。

1907年(明治40年)12月20日 - 南海鉄道萩ノ茶屋駅が開業。

1913年大正2年) - 大字の元今宮・元木津を今宮・木津に改称。

1917年(大正6年)6月15日 - 西成郡今宮第三尋常小学校(後の大阪市立萩之茶屋小学校)を設置。

1917年(大正6年)9月1日 - 町制を施行し、今宮町となる。

1922年(大正11年) - 37大字に改編。

東入船(ひがしいりふね)・西入船(にしいりふね)・海道(かいどう)・甲岸(こうぎし)・東萩(ひがしはぎ)の5大字が現在の萩之茶屋におおむね該当する。


1925年(大正14年)4月1日 - 大阪市第二次市域拡張により大阪市へ編入。新設の西成区の一部となり、大字は町名に継承。

1930年(昭和5年)3月 - 今宮消防署(現在の西成消防署の前身)が海道町(現在の西成消防署海道出張所の場所)に開設。

1946年(昭和21年)5月16日 - 西成警察署が海道町(現在地)に移転。

1953年(昭和28年)3月 - 西成消防署が岸里(当時の東皿池町)に移転。従来の西成消防署庁舎は今池出張所(現:海道出張所)として存続。

1962年(昭和37年) - あいりん地区の不就学児童への対策として、大阪市立萩ノ茶屋小学校・今宮中学校分校あいりん学園(のちに大阪市立新今宮小学校(初代)・中学校に改編)を設置。

1962年(昭和37年)10月1日 - 財団法人西成労働福祉センター発足。

1970年(昭和45年)10月1日 - あいりん労働福祉センター開設。

1973年(昭和48年)11月 - 現行の住居表示実施。

1981年(昭和56年) - 大阪市立新今宮小学校(初代)を閉校。

1984年(昭和59年) - 大阪市立新今宮中学校を閉校。

1995年平成7年)8月 - 西成警察署新庁舎が完成。

世帯数と人口

2019年(令和元年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目世帯数人口
萩之茶屋一丁目3,450世帯3,540人
萩之茶屋二丁目3,269世帯3,299人
萩之茶屋三丁目1,005世帯1,071人
計7,724世帯7,910人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。1995年(平成7年)12,750人[6]
2000年(平成12年)12,932人[7]
2005年(平成17年)14,485人[8]
2010年(平成22年)12,403人[9]
2015年(平成27年)9,665人[10]
2020年 (令和2年)9,143人[5]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。1995年(平成7年)11,549世帯[6]
2000年(平成12年)11,859世帯[7]


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