華翠大橋
各種表記
繁体字:華翠大橋/新店溪橋
簡体字:?翠大?/新店溪?
?音:Huacui Daqiao
(X?ndian X?qiao)
通用?音:Huacuei Daciao
(Sindian Siciao)
注音符号:???? ???? ??? ????
(??? ???? ?? ????)
発音:ホアツイ ターチャオ / シンディエンシー チャオ
台湾語白話字:Hoa-chhui T?a-kio
(Sin-tiam-khe-kio)
日本語漢音読み:かすいおおはし / しんてんけいばし
英文:Huacui Bridge
(Xindian River Bridge)
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華翠大橋周辺図
凡例
新北環河快速道路
新店渓
萬板大橋
万華駅→
環河西路
華翠大橋
Huacui Bridge
鉄道橋(新店渓橋)から道路橋となった華翠大橋(下流の萬板大橋から)
基本情報
国 台湾
所在地(鉄道時代)台北市万華区、台北県板橋市
(道路橋)台北市万華区、新北市板橋区
交差物件新店渓
用途鉄道橋→道路橋
路線名(鉄道時代)縦貫線
(道路橋) ??大道
華翠大橋(かすいおおはし[註 1])は台湾台北市万華区と新北市板橋区の境界、新店渓に架かる道路橋。その源流は台湾総督府鉄道(現在の台湾鉄路管理局)縦貫線の鉄道橋だった新店渓橋(しんてんけいきょう)にまで遡る。 万華区と板橋区を結ぶ道路橋としては華江橋 元々淡水橋経由で新竹方面を結んでいた清朝時代の路線(全台鉄路商務総局鉄道)は日本統治後も使用していたが、水害により桃園までは新店渓と大漢渓を渡河する現在のルートに変更され、新店渓を渡る橋は当時の金額で229,599円を投じて1900年(明治33年)1月に起工し、翌1901年(明治34年)2月20日に竣工[1]。同年8月25日に台湾総督府鉄道縦貫線が現在のルートで開業と同時に新店渓橋として開通した。全長は1208フィート10インチ(約368メートル)の版桁橋[1]。 その後1932年に改築工事が実施され[2]、1935年の複線化工事完了後は[3]、上下線でそれぞれ約368メートルの橋梁となった[4]。 第二次世界大戦後に中華民国統治となると、1948年5月28日に橋上を走行中の列車で乗客が持ち込んだ可燃物が発火、140人が死傷する列車火災事故が発生している(新店渓橋列車火災事故)[5]。6月12日に万華側の、6月25日には板橋側の住民が主催する追悼式典が新店渓橋付近で行われている[6]。同年12月10日深夜にも本鉄橋上で列車爆破事件が発生し、2名が負傷した[7]。 1981年6月23日に台風の襲来で被災[8]、1983年12月26日に17メートル下流側で再建工事を着工、4度に及ぶ設計変更を経て1991年11月15日に竣工している。全長701メートルのビーム橋[8]。これが現在の道路橋の直接の前身となる。 元の新店渓橋の橋脚を補強し、18.5メートルに拡幅、桁をI型鋼に架け替えて道路橋に用途転換する事業は交通部台北市区地下鉄路工程処(鉄路改建工程局[註 2]の前身)によって始動、1999年9月15日に起工。華翠大橋と命名され、2001年8月16日に北側(下流側)と県民大道が開通した[10]。この時点では暫定上下2車線だった[11][12]。2002年7月27日、残る道路橋南側(上流側)も開通、上下4車線となった[13]。橋前後の台鉄縦貫線の元地上線部分も、地下化後に??大道
概要
新店渓橋(鉄道橋)
華翠大橋(道路橋)