華北交通
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華北交通股?有限公司
旧本社外観
種類株式会社
市場情報会社消滅
略称華北交通
本社所在地 中華民国
北京特別市東長安街17号
設立1939年4月17日
業種運輸
事業内容鉄道事業の経営、自動車運輸事業の経営、内国水運事業の経営、三事業に付帯する事業の経営
代表者宇佐美寛爾(総裁)
資本金3億円[1]
(北支那開発株式会社 1億5千万円)
(南満州鉄道株式会社 1億2千万円)
(中華民国臨時政府 3千万円)
増資金1億円[2]
(北支那開発株式会社 8500万円)
華北政務委員会 1500万円)
売上高80,400,694円(1939年9月)
従業員数11万4974人(1942年9月末)
主要株主 北支那開発株式会社(300万株)
南満洲鉄道株式会社(240万株)
中華民国臨時政府(60万株)
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華北交通株式会社(かほくこうつうかぶしきがいしゃ)は、昭和時代の戦中期に中華民国華北地域において主に鉄道事業、バス貨物トラック事業および水運事業の経営を行った日中の合弁会社日本北支那開発および南満洲鉄道の投資会社にして、中華民国臨時政府(のち華北政務委員会)経営の特殊法人[2]

日中戦争で日本の勢力下に入った中国華北地域を対象に設立されたが、ポツダム宣言の受諾に伴い閉鎖された。
概要
所在地

本社:
中華民国北京特別市東長安街17号

東京事務所(後に東京支社に格上げ):東京市赤坂区葵町2番地(満鉄東京支社ビル内)

社歌

歌詞は社員会が「華北交通の歌」として懸賞付きで一般公募し、1457作の応募があった中から1作が選ばれ、添削を経て決定した。続いて曲の公募も行い、1940年昭和15年)11月に「華北交通の歌」は社員会から会社に献呈され、「華北交通社歌」となった。1941年(昭和16年)4月には中野忠晴が歌唱したレコードが日本蓄音機商会(現・日本コロムビア)から市販されている。
皇天の啓示かしこみ 善隣の義に勇むもの おほいなり華北交通 民族の提携かたく わきあがる興亜の希望 われら ねがわくば 建業の礎石とならむ

東方の秩序あらたに 昭明の日を来すもの おほいなり華北交通 生命の躍動ここに よみがへる大地の文化 われら さきがけて 奉公の至職に生きむ

開拓の使命あふぎて 交通の利を興すもの おほいなり華北交通 水陸の建設しるく ひかりあり天興の資源 われら こぞりたち 共栄の楽土を成さむ

社訓

会社創立1周年にあたる1940年(昭和15年)4月17日、宇佐美総裁によって以下の4か条からなる社訓が華北交通の全従業員に示された。

善鄰協和の大義を宣揚すべし

大陸交通の使命を達成すべし

滅私奉公の職責を完遂すべし

終身斉家の常道を躬行すべし

社章

華北交通設立に先立ち、満鉄北支事務局内で社章の図案募集を行った。700点以上の応募があったものの当選作を決定するには至らなかったので、応募作品の中から選ばれた15点の図案と広報班員が制作した図案を画家の和田三造に見せ、和田の好評を得た広報班員制作の図案が社章に採用された。

車輪と翼を組み合わせたデザインで、左向きの図案は西進を意味する。翼は五色旗を象徴するほか、4本の白線は複線線路を暗示するものとされた。
事業内容

華北交通株式会社法第1条および華北交通株式会社定款第2条では、華北交通は「北支那ニ於ケル交通運輸ノ発達統制ヲ図ル為」に鉄道事業、自動車運輸事業、内国水運事業およびこれら3つの事業に付帯する事業を経営することができるとされた。
沿革
満鉄の華北進出

1937年(昭和12年)7月に日中戦争が勃発して以降、日本軍は華北地域の制圧を進めていく。日本軍の侵攻と同時に華北の鉄道も日本の勢力下に入ることになり、満鉄職員が支那駐屯軍に派遣されて鉄道線の管理を行った。業務の拡大に伴い、同年8月、華北における満鉄の活動を統括する機関として天津に北支事務局が設置される。
華北交通の設立

日中戦争の拡大に伴い、日本の勢力下にある鉄道も延び続けていた。そこで、満鉄の一部門が華北地域の鉄道を運営し続ける態勢は限界を迎えており、新たにどのような運営形態を取るべきかが問題となり、以下のような案が検討された。

日本軍による軍事占領…日中戦争の目的は中国から領土などの賠償を得ることではないので、鉄道を軍事占領する必要性はない。また、日本が直接鉄道を所有すると第三国に対する負債を日本が抱え込むことになるほか、中国人や諸外国の対日感情を悪化させる恐れがある。

中国側が鉄道を所有し、実際の経営は日本法人の会社に委託する…日中戦争の目的は対日政策の転換および日中経済協力の実現にあり、あくまで中国を支配するのは中国人である。よって鉄道も中国側の経営とすべきであり、日本法人による鉄道経営は適切でない。

所有・経営ともに
中華民国臨時政府または純粋な中国法人会社が行う…臨時政府は成立したばかりで、鉄道経営を行うには力不足である。また、中国法人会社による所有・経営も日中戦争下にある状況では望ましくない。

中国側が鉄道を所有し、実際の経営は中国法人の日中合弁会社に委託する…「中国の鉄道は中国人のもの」という建前を維持できる上、鉄道の負債や権益に関する諸外国との交渉も円滑に行うことができる。また、日中戦争に伴う軍事輸送や日本との経済協力も行いやすい。

最終的には「中国側が鉄道を所有し、実際の経営は中国法人の日中合弁会社に委託する」案が採用され、華北地域の日本勢力圏内にある鉄道については臨時政府が所有し、実際の経営は中国法人の日中合弁会社に委託する形が取られることが決定した。この決定に伴い、臨時政府所有の鉄道に加えて自動車や国内水運も含めた華北地域交通の運営を行う日中合弁会社として華北交通株式会社が設立されることになった。

1939年(昭和14年)4月15日、華北交通株式会社法が中華民国臨時政府により公布される。同月17日には会社定款が決定され、同日付で華北交通株式会社が発足。同時に満鉄北支事務局は解体され、従業員は華北交通に引き継がれた。総裁には交通顧問として支那駐屯軍に派遣されていた満鉄理事の宇佐美寛爾が就任した。華北各鉄道は事変前後破壊少なからず各鉄道の従業員又多く散佚し、京漢、京綏、津浦、正太、同浦、膠済、隴海等の鉄路も軍事の進展に従い逐次軍管理に入れり。惟うに各鉄道の現状は日軍により修理改良を加えられたると雖も未だ完備せず、なお交通は屡々阻害され連絡又閉塞して国計民生の害を受けるや実に甚だしく、而してこれを修復整備せしめるには巨万の資を要せんとす。よって中国法令により中日合弁の交通会社設立の議あり、客冬以来逐次商議し既に意見一致し、ここに立法手続きを経て本条例を公布するものなり。各種の事業範囲、国家の財産権、政府の監督権、会社の上納金、職員の選任及び将来各鉄道債務の整理措置に付ても等しく決定せり。これ全く互恵合作の精神に基き交通事業の発展を図るにあり。而して目下の軍事時期にありては管理権に於いて若干の制限なしとせざるも、華北軍事の収束、両国の交通調整なる時、即ち所要の修改はなさるべく、交通は国家の人民の生命線たり。友邦またこの意を諒察し斯くて本件は六箇月の考究を経てようやく成しものなり。相互合作、東亜永遠の平和を策し得ると否とは固より該会社としての本意をよく諒察する如何に俟つ所大なり。而してその責任を負う点に於いては我が政府は関心聊かも懈怠を許さざるなり。ここに終始の国人に謹告す。 ? 中華民国臨時政府、声明
戦争の激化と改組

会社発足後、華北交通は戦争により荒廃した鉄道設備の復旧を精力的に行ったが、一方でゲリラの激しい破壊活動による被害に悩まされた。鉄道は年間2000件以上の襲撃を受け、破壊活動に伴う事故は年間600?700件にも上った。同社はこれらの運行妨害に対する自衛手段として会社自体に警務部を組織して、列車内、沿線鉄道用地内、鉄道建造物内などで警察権を行使させた[3]。加えて、重要路線沿線に土塁水堀を築き歩哨を配置する、先行列車(土のうなどの重量物を載せた貨車を推進運転し、線路の破壊に備える)を運行するといった対策が取られた。これらの直接的対策のほかに、交通路に沿って会社に協力する愛護村を設け、治安の維持や情報収集を図った。愛護村の建設は一定の成果を挙げたものの、愛護村の住民もゲリラの工作を受け、昼間は鉄道の修復を行う一方で夜は鉄道を破壊するという事例までも発生した。

戦争末期の1945年(昭和20年)4月、中国法人であった華北交通は日本軍の指揮を受ける軍事組織に改組され、「北支那交通団」となった。総裁は長官、副総裁は次長、理事は参議、鉄路局は地方交通団、鉄路局長は団長、東京支社は東京事務局と改称され、日本人従業員は軍属(ただし軍からの賃金はなし)となった。
終焉

1945年(昭和20年)8月に日本が敗戦した後も、従業員は現場に留まり業務は続けられた。その後、中華民国国民政府交通部が華北交通の接収を行うことが決まり、同年10月に本社が引き渡されたほか、各地の鉄路局も本社引き渡しと前後して中国側に接収されて華北交通は機能を停止した。しかし、会社が事実上消滅した後も鉄道運営の知識を持つ従業員は必要とされ、1856人の日本人従業員が業務に留まった(この間の日本人従業員の賃金は国民政府が支払った)。1946年(昭和21年)5月までに従業員の大部分が内地に引き揚げたが、山海関地区の日本人従業員多数がソ連軍に連行され、1947年(昭和22年)まで抑留された例もある。

華北交通は1945年(昭和20年)10月に機能を停止し実質的に消滅していたが、1946年(昭和21年)10月に連合国軍最高司令官により閉鎖を命じられ、同年11月には閉鎖機関に指定された。


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