華の嵐
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華の嵐
ジャンル
テレビドラマ
原作長坂秀佳
企画出原弘之(東海テレビ)
脚本田口耕三
下飯坂菊馬
大久保昌一良
出演者高木美保
渡辺裕之
長塚京三 ほか
ナレーター中西妙子
音楽奥慶一
時代設定1920年 - 1940年
製作
プロデューサー松村明(泉放送制作)
福田真治(泉放送制作)
井村次雄(東海テレビ)
制作東海テレビ
泉放送制作

放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本
放送期間1988年1月4日 - 4月8日
放送時間平日 13:30 - 14:00
放送枠東海テレビ制作昼の帯ドラマ
放送分30分
回数70
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『華の嵐』(はなのあらし)は、1988年に放送開始された、東海テレビ泉放送制作が制作した昼ドラである。放映回数は全70話[1]
概要

東海テレビの昼ドラは通算94作品目で、平均視聴率16%を越える、1988年1月期に放映された東海テレビの昼ドラとしては大変人気の高い作品である。ドラマティックな展開が話題となり、主婦や若年層の女性を中心に社会現象にもなった。高木美保が演じたヒロインの朝倉柳子が、劇中しばしば挨拶として口にする「ごきげんよう」は、女子学生たちの間でちょっとした流行語になった。このドラマの大ヒットを受け、翌年の『夏の嵐』もほぼ同様のキャスト、内容となっている。このドラマで共演した高木美保と渡辺裕之はゴールデンコンビと呼ばれた。

マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』をモチーフにしており[2]昭和初期から第二次世界大戦後まもなくの時代を舞台に、華族平民の愛と激動を描いた作品で、「グランドロマン」と言われることもある。

オープニングにて「原作・長坂秀佳」とクレジットされる。これは長坂が第11話までの脚本(10話までは決定稿、11話は準備稿)を書いた段階で制作局との間で意見が対立し、長坂が降板したための措置であった。後に長坂は、第11話までは「わたしの脚本の数行を直しただけで放送されたが、それ以降のストーリーは、本来のわたしのテーマや構想から大きく外れ、全体としてはわたしの意図したものとは似ても似つかぬものとなってしまった」と語っている。
あらすじ

大正9年。母親を亡くした一人の少年がいた。彼の名は天堂一也。母親の葬式で、近所の老人たちから、母親は朝倉男爵にもてあそばれ、捨てられたと聞かされた一也は、朝倉景清と朝倉家に対して、激しい復讐心を抱く。

一方、男爵・朝倉景清は、妻の貴久子と生まれたばかりの娘・柳子を連れてフランスから帰国したばかりであった。

そして20年の時が過ぎた。昭和15年、朝倉男爵への復讐に燃える一也と、美しく、気高く成長した柳子が出会い、お互いに反発しながらも激しく惹かれ合っていく…。
キャスト

朝倉柳子:
高木美保[3][4][5]朝倉景清・貴久子の長女。フランス生まれ。朝倉家の跡取りとして育てられ、男爵令嬢らしく、勝ち気で誇り高い性格の美女。趣味は乗馬でよく遠乗りに出かける。またピアノもたしなみ、心乱れたときはよくショパンの『革命』や、ベートーヴェンの『月光 第三楽章』を弾く。ある日、乗馬に出かけた時に柳子の進路を横から妨害してきた男がいた。その男が父に恨みを抱く天堂一也であった。柳子はそんな一也に対し激しい怒りを抱くが、いつしか互いに惹かれ合うようになる。しかし一也が朝倉家への恨みの感情を捨てきれず、一也との愛を諦め、同じ華族の血につながる伊能鳥彦と婚約するものの、鳥彦はシンガポールで死亡する。やがて、一也の出征前夜に2人だけの結婚式を挙げ、一也の妻として生きていくことを誓う。が、やがて一也の戦死を伝える手紙が届き、絶望し自殺を図る。危ないところであったが命は助かった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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