菜食主義
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「ベジタリアン」はこの項目へ転送されています。「ジベタリアン」とは異なります。
菜食主義者は穀物野菜果物を主に食べ、食肉魚介類およびその加工品を避ける。乳製品も摂らない完全菜食主義者もいる。

菜食主義(さいしょくしゅぎ、: Vegetarianism)とは、動物性食品(食肉魚介類鶏卵乳製品など)の一部または全部を避ける食生活を行うことである[1]健康倫理宗教などの理由から実践する人は、一般的に菜食主義者(ベジタリアン)と呼ばれる。食だけではなく、動物から採取した材料を使った製品を実際的に不可能で無い限り避ける人をヴィーガンと呼ぶ。
名称

日本では、明治中期に英語のvegetarianismの訳語が菜食主義として紹介され、明治後期から社会運動が始まった[2]。近年では「ベジタリアン」の表記を使うことも増えている[要出典]。

『ケンブリッジ世界の食物史』には、イギリスベジタリアン協会(英語版)(1847年9月30日発足[3])が発足した際に、ラテン語のVegetus(活気のある、生命力にあふれた)をもとに考えられたと記載されている[4]。このとき、野菜(Vegetable) の単語とかけたともされる[5]

一方、国際ベジタリアン連合の別のページではそれ以前でも使われたことに言及しており[6]、英語における言葉の権威である『オックスフォード英語辞典』では、1839年1842年に既にその単語が使われていたことを示している。その語源としては英語のVegetableに人を表すtarianの語尾をつけたものであるとしている。

19世紀にvegetarianismが造語される前は、古代ギリシャの哲学者で菜食主義者であったピタゴラスにちなんで、菜食主義者は英語で「ピュタゴリアン」と呼ばれていた[7]
訳語

学術用語集医学編』における用語対応は、vegetarianismが菜食主義、vegetarianが菜食主義者で[8]以下に同じである。『スタンダード医学英和辞典第2版』[9]『研究社 医学英和辞典 第2版』[10]『栄養・食糧学用語辞典 第2版』[11]『英和・和英 栄養・食糧学用語集』[12]

『栄養・生化学辞典 普及版』もほぼ同様である[注 1]。『日本医学会医学用語辞典英和 第3版』ではvegetarianを菜食主義者としている[14]
菜食史
古代

菜食主義の初期の記録は、紀元前7世紀、生命への寛容を教えていたインド亜大陸インダス文明であった[要出典]。

菜食主義は古代ギリシャでも実践されており、紀元前6世紀のギリシャの哲学者であるピタゴラス(前582年-前496年)が創設したピタゴラス教団では、オルペウス信仰のため食肉を嫌い、動物を殺すことは殺人に、食肉は食人に等しいと考えた[4]。ピタゴラスが実際に菜食主義を主張したか不明だが、オウィディウス(前43年-後17年?)の『変身物語』15章では、技巧的に描写されたピタゴラスは厳格な菜食主義を主張している。この逸話を通して昔の英語圏の人々にピタゴラスはよく知られ、19世紀にvegetarianismが造語されるまでベジタリアンは英語で「ピュタゴリアン」と呼ばれた。

紀元前30年-西暦50年に、北部トラキア地方のモエシ族でも菜食は実践された[注 2]。彼らは蜂蜜牛乳チーズは食べていた。

インドでは動物への非暴力的態度(アヒンサー)に関連して菜食主義が何千年もの間、宗教団体や哲学者によって広められた。古代インドの作品『ティルックラル』は、明確に菜食主義と不殺生を説いている。特に『ティルックラル』26章のカプレット251-260では主に菜食主義やヴィーガニズムを扱っている。ギリシャやエジプトなどでは、菜食は医療や(みそぎ)の目的を持っていた。仏教ジャイナ教では、故意に生き物を殺してはならないという教義が設けられてきた[4](「五戒#不殺生戒」参照)。仏教の精進料理は、倫理的な戒律を守るという意味が元である。

ローマ帝国でもオウィディウスプルタルコス48年?-127年?)は罪のない動物への虐待を非難し、プルタルコスの『肉を食すること』という随筆には、精神的な主張だけでなく、身体にとって有害だという今日まで通じる主張を行った[4]3世紀にはポルピュリオス(234年-305年)は、菜食の風習はもう古いと言及して、概念をとりまとめ神にとって大切な教義とした[4]キリスト教の正統派は菜食主義ではなかったが、キリスト教教会の聖人の中のクリュソストモス(344年?-407年)やベネディクトスなどは欲望を制限するために肉を忌避し、(キリスト教などの影響を受けた)マニ教のように菜食主義の一派も存在した[4]

古代ローマ帝国のキリスト教化に伴って、実質的に、菜食主義はインド以外の地域では消えた[要出典]。
ルネッサンス期以後

菜食主義はルネッサンス期に蘇り、19世紀・20世紀にはより広範に広がった[要出典]。

17世紀の西欧で菜食の考えに変化が訪れた。イギリスの宗教家Thomas Tyronが 『健康、長寿、幸福への道』(1683年)で、「聖書創世記には、『肉を供してはならない』と記載している」という理論的な主張のほか、健康問題を強調した[4]。18世紀になると、特にイギリスで、神経系の研究による人間と高等動物の類似性が発見され、苦痛についての生理学的な推測によって、人間と動物は近い関係にあるという認識が育まれた[4]

19世紀、1810年代のアメリカ合衆国で、菜食を会員の条件としたキリスト教の一派である聖書教会派が創始された[4]。1822年にキリスト教を社会的な教義に格上げしようとする福音主義が、イギリスで西欧世界初の動物愛護法(マーチン法)を成立させると、動物への残虐行為を避けることに注目が集まり、菜食主義に関する書物も増加した[4]。さらに、医師が健康のための食事法について報告するようになった[4]

1847年9月30日にはイギリスベジタリアン協会(英語版)が組織され、活力のための菜食主義を訴えた[4]。後には、動物実験皮革製品に反対するなど、社会全般の改革運動を奨励した[15]。1850年にはアメリカベジタリアン協会[16]が、1866年にドイツベジタリアン協会[17]が設立され、1908年には国際ベジタリアン連合が設立された[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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