菊間千乃
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きくま ゆきの
菊間 千乃
生誕 (1972-03-05)
1972年3月5日(52歳)
日本  東京
出身校早稲田大学法学部
大宮法科大学院大学
早稲田大学大学院法学研究科
職業弁護士
コメンテーター
活動期間フジテレビジョン
1995年 - 2007年
松尾綜合法律事務所
2012年 -
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菊間 千乃(きくま ゆきの、1972年3月5日 - )は、日本の弁護士第二東京弁護士会所属)、コメンテーター。弁護士法人松尾綜合法律事務所代表社員弁護士。学位先端法学修士早稲田大学大学院法学研究科2019年)、法務博士(専門職)

タレント・アナウンサー活動ではノースプロダクションが窓口。元フジテレビアナウンサー
来歴

東京都生まれ。身長160cm、血液型AB型。父親は八王子実践高等学校女子バレーボール部元監督の菊間崇祠。小学校時代から、早稲田大学入学とアナウンサーになることを目指す。光塩女子学院中等科・高等科卒業後、一浪して早稲田大学へ入学し[1]早稲田大学法学部卒業。

イギリスへ留学経験があり、国際連合公用語英語検定試験(国連英検)B級と、実用英語技能検定(英検)準1級を持つ[2]

アナウンサー試験ではフジテレビ・TBSを受験し、2社とも内定[1]1995年4月フジテレビに入社。同期入社には伊藤利尋森昭一郎高木広子2011年退社)。

入社後は『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンアナに抜擢されたのを皮切りに、『発掘!あるある大事典』、『2時のホント』、『FNNスーパーニュース』(スポーツキャスター)などの番組を担当。また、父の縁で全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)、バレーボールワールドカップバレーボール・ワールドグランプリといったバレーボール中継のMCを担当するなど、マルチに活躍していた。

1998年9月2日、『めざましテレビ』の自身がリポーターを務めるコーナー「それ行け!キクマ」で、災害時に高所から脱出する避難器具の体験リポート中にマンション5階(地上約13m)の窓から落下。地上のマットに叩きつけられ、意識を失い全く動かなくなった。スタジオでは当初笑っていたものの、やがて菊間の様子が明らかにおかしいことに気づき、表情が凍りつき騒然となる流れがすべて放送されていた。結果、全治3カ月の重傷(腰椎圧迫骨折)を負い入院した。後年、『徹子の部屋』に出演してこの時のことを振り返った際、「落下して地面についた時から記憶と意識がなく、気が付いたら病院のICUにいました」と語っている。翌年には現場復帰したが、リハビリは1年に及んだ[3][4]。事故が重大になってしまった一因として、「本来なら柱など、がっちりしたものに結ばなければならない命綱となるベルトのロープを、軽いソファーにくくりつけてしまっていた」「落下の衝撃を受け止めるマットがウレタン素材だったため硬く、充分に衝撃を吸収できなかった」ことも後に挙げられている。

2005年4月、ロースクール大宮法科大学院大学(夜間主)に入学。

同年7月16日、バレーボール中継後に会社の同僚とともに当時未成年でNEWSのメンバーだった内博貴[5]と飲酒していたとして無期限謹慎処分を受けた。しかし、当時のメディアの報道には、かなり誤解があり、「自分が飲ませたわけではなく、実際には相手が他の場所で既に飲酒していた」と、2014年のインタビューで述べている[6]

アナウンサーの仕事と並行し、ロースクールにて法律の勉強も進めていたが、弁護士を目指して新司法試験の受験勉強に専念するため、2007年12月31日をもって退社[7]。2009年3月、大宮法科大学院大学修了。

2010年9月、新司法試験に合格[8]司法修習(新第64期)を経て弁護士となった。弁護士としては企業法務を多く扱う事務所に所属し、知的財産権、倒産、マスコミ関連など幅広く手がける。2013年にアメリカテキサス州のアメリカ法・国際法センターにおいて研修[9]

2014年2月4日、大学時代の同級生の会社員と結婚したことを公表した[10]

2018年6月より日本バレーボール協会評議員を務める[11]。同月、株式会社コーセー社外取締役

2019年3月、早稲田大学大学院法学研究科修士課程・先端法学専攻(知的財産法LL.M.コース)修了[12][13]

2020年4月、タキヒヨー株式会社社外取締役。6月、アルコニックス株式会社社外取締役、株式会社キッツ社外取締役。

2021年、日本女子ソフトボールリーグ機構理事に就任[14]

2022年1月、弁護士法人松尾綜合法律事務所 代表社員弁護士。
人物・エピソード

春高バレーの中継に父親が出ていたこともあり、小学校6年生の卒業アルバムですでに「将来の夢はフジテレビのアナウンサー」と書いていた。父親の優勝監督インタビューをするのが夢だった
[1]

早大の卒業論文タイトルは、「取締役の競業避止義務について」。

大学時代には、警備員・引っ越し・交通量調査・家庭教師・NHKの番組のADなど、何十種類ものアルバイトを経験した[1]

早大の奥島孝康ゼミの同期に下平さやかテレビ朝日アナウンサー)がいる[15]

アナウンサーになってすぐの頃、「将来やってみたいことはありますか?」という質問に「司法試験」と書いていた[1]

著書

『私がアナウンサー』 (2001年
文藝春秋刊)[16]

『キクマの元気 幸せの生き方レシピ』 (2004年 講談社刊)

『私が弁護士になるまで』(2015年 文藝春秋刊)[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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