菊池 幽芳
きくち ゆうほう
誕生菊池 清 きくち きよし
1870年12月18日
(明治3年10月27日)
日本 常陸国水戸藩長者町
(現在の茨城県水戸市)
死没 (1947-07-21) 1947年7月21日(76歳没)
日本 兵庫県武庫郡本山村
(現在の同県神戸市東灘区)
墓地光台寺(茨城県水戸市)
職業小説家、新聞記者、実業家
国籍 日本
活動期間1891年 - 1947年
ジャンル家庭小説
代表作『己が罪』
『乳姉妹』
デビュー作『鴬宿梅
菊池 幽芳(きくち ゆうほう、明治3年10月27日(グレゴリオ暦 1870年12月18日) - 1947年7月21日[1])は、日本の小説家。本名は菊池 清(きくち きよし)[1]。大阪毎日新聞社取締役を歴任した[1]。 常陸国水戸長者町(現在の茨城県水戸市)に生まれる[1]。弟に英文学者の戸沢正保がいる[1]。 1888年、茨城県尋常中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を卒業[1][2]、同県北相馬郡取手(現在の同県取手市)の取手高等小学校[3](現在の取手市立取手小学校)の教師となる[2]。 21歳を迎える1891年に小学校を退職、大阪毎日新聞社に入社する[1]。同年、宇田川文海、丸岡九華らと大阪文藝会を興し[2]、文芸雑誌『大阪文藝
人物・来歴
1897年、同社の文芸部主任に就任する[2]。主に三面記事を担当し[4]、1900年には『己が罪』を連載して、名声を得る[1][2]。1903年には同紙に『乳姉妹』を連載した[1]。「家庭小説」というジャンルを確立[1]、第一人者となる[2]。
社会部長、学芸部長、副主幹を歴任[2]、1924年には、同社の取締役に就任した[1][2]。1926年には同職を辞職、相談役に就任した[2]。
1947年7月21日、脳溢血のため[5]兵庫県武庫郡本山村(現在の同県神戸市東灘区)の自宅で[2]死去した[1]。