菊水作戦
菊水六号作戦中の5月11日、特攻機2機の命中で大破炎上した正規空母バンカーヒル
戦争:太平洋戦争
年月日:1945年4月6日-6月22日
場所:沖縄近海
結果:連合軍の勝利
連合国艦隊に多数の損害
交戦勢力
大日本帝国 アメリカ合衆国
イギリス帝国
指導者・指揮官
豊田副武
小沢治三郎
宇垣纏
菅原道大 チェスター・ニミッツ
レイモンド・スプルーアンス
ウィリアム・ハルゼー
ブルース・フレーザー
戦力
特攻機1,827(菊水作戦に策応したものも含む)
損害
戦死3,067(菊水作戦に策応したものも含む)戦死4,907
戦傷4,824
艦船損害(菊水作戦に策応したものも含む)
沈没[1][2]
駆逐艦16隻
他20隻
損傷[3]
368隻
沖縄戦
富山丸
対馬丸
十・十空襲
九州沖航空戦
沖縄戦
天号作戦
ピナクル
菊水作戦
菊水作戦(きくすいさくせん)は、太平洋戦争末期の天号作戦中、沖縄に来攻する連合国軍に対し特攻攻撃を実施した日本海軍の作戦[4]。作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。
第一機動基地航空部隊(第三航空艦隊、第五航空艦隊、第十航空艦隊)によって1945年4月6日の菊水一号作戦から6月22日の菊水十号作戦まで行われ、これらに策応し、海軍の第一航空艦隊や陸軍の第六航空軍、初期には第八飛行師団も総攻撃を行った[4]。これらの作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死したが、連合軍も約10,000名の兵士が死傷し[5]、36隻の艦船を失い[1]368隻が損傷するといった甚大な損害を被った[3]。 1945年(昭和20年)3月24日に沖縄本島南部へ戦艦以下30隻のアメリカ軍艦船が現れ艦砲射撃を開始、また延べ600機にも上る艦載機による激しい空爆が行われた。そこで、大本営海軍部(軍令部、海軍航空本部)は、連合軍が沖縄に侵攻してきたと判断し天号作戦を下令、各航空艦隊に移動指示を行った[6]。詳細は「天号作戦#歴史」および「連合艦隊#1945年3月1日、菊水作戦直前の編制」を参照 この移動命令で九州への航空戦力の増強が進められて、海軍だけで4月1日時点で300機[7]、この後も順次戦力増強が進み4月19日までに合計2,895機もの大量の作戦機が九州の各基地に進出する計画であった。さらに3月1日の大海指第510号「航空作戦ニ関スル陸海軍中央協定」により、陸軍飛行隊第6航空軍などが連合艦隊の指揮下に入っており、陸軍作戦機1,835機も順次知覧などの九州各基地に集結中で、日本軍は陸海軍協同でかつてない航空戦力で連合軍を迎え撃つ計画であった[8]。 しかし、連合軍の急な侵攻を前に日本陸海軍の航空戦力集中は間に合わず、手元にある戦力での航空攻撃が断続的に行われることとなり、まずは3月26日に慶良間諸島に侵攻してきた連合軍艦隊に対して特攻が行われた。さらに4月1日に連合軍が沖縄本島に上陸すると、大本営では「昭和二十年度前期陸海軍戦備ニ関スル申合」により「陸海軍全機特攻化」を決定し、4月1日35機、2日44機、3日74機と特攻機を出撃させて、空母1隻大破、巡洋艦2隻撃沈などの華々しい大戦果を挙げたと報じられた[9]。この戦果報告は過大であったが、実際にも輸送駆逐艦(高速輸送艦)ディカーソン撃沈[10]、レイモンド・スプルーアンス提督が座乗していた第5艦隊の旗艦重巡インディアナポリス、[11] イギリス軍正規空母インディファティガブル[12]、護衛空母ウェーク・アイランド[13] が甚大な被害を受けて戦線離脱、戦艦ネバダとウェストバージニアを含む28隻が損傷し、合計約1,000名の死傷者を被るなど連合軍の損害は大きかった。
経過「太平洋戦争#戦争末期」および「日本本土の戦い#菊水作戦」も参照
日本側の背景