すがの おきひこ
菅野 沖彦
生誕1932年9月27日
東京都
死没 (2018-10-13) 2018年10月13日(86歳没)
国籍 日本
肩書きオーディオ評論家
親戚菅野圭介(叔父 洋画家)
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菅野 沖彦(すがの おきひこ、1932年9月27日 - 2018年10月13日)はオーディオ評論家。弟は、ピアニスト・菅野邦彦。 東京に生まれる。成蹊大学に通うかたわら、東京音楽学校(現東京藝術大学)同声会の通信教育で音楽を学ぶ。城多又兵衛や下総皖一のレッスンを受ける。その後、オーディオの評論雑誌を仲間と始めたことをきっかけに、電波新聞社でオーディオ雑誌を編集[1]。 朝日ソノラマ編集長、フリーの録音制作家を経て、オーディオラボを創立。1971年、オーディオラボ・レコードを発売。以後オーディオ評論家として日本の高級オーディオ文化を半世紀以上育ててきた重鎮である。その録音技術は高く評価され、優秀録音盤が数多く、カリスマ性が高い。 オーディオに対するスタンスはレコード演奏家を参照のこと。 2018年10月13日、老衰のため死去[2]。 3系統のスピーカーシステムを構築している。 トーレンス リファレンス ピアノが大好きで子供のころは音楽家になりたかったが、ある日弟(菅野邦彦)が弾くピアノの音を聴き、才能の差に気付いてピアノを止め、楽理、作曲を学ぼうと決意した。[3] イコライザーを使って、部屋との整合性を電気的にコントロールすることの重要性を提唱しており、部屋との整合性をとらずにケーブルに金をかけることは無意味と語っている。 長いオーディオ人生でメーカー製のスピーカーシステムを買ったのは数機種程度である。それは年齢とオーディオ暦が大きく影響しており、菅野がオーディオを始めた頃(1940年代終わり頃)はスピーカーユニットは売られていたが、エンクロージャー入りスピーカーシステムという商品はなく、そのためスピーカーシステムは自分で構築するという概念で固まり、その影響が残っているからだという。[4] 江川三郎と友人関係にあったが、江川がハイエンドオーディオ嫌いであったのに対して、菅野はローエンドオーディオ嫌いであったという。 ロイ・デュナン カーマニアとしても有名で、1968年から40年以上に渡り、愛車として歴代のポルシェに乗り続けていた。
来歴
使用機器
スピーカー
JBLの375と537‐500ホーン中心のビーム状の放射波によるマルチアンプ・システム - JBL2205A(ウーファー)、JBL375+537‐500(ミッドレンジ)、GEM・TS208 P.S.C.Ver.2(トゥイーター)、ミューオンTS001 P.S.C.Ver.2(スーパートゥイーター)、ヤマハYST‐SW1000L(サブウーファー)
マッキントッシュ・ラボXRT20のハーフ・シリンドリカル(半円柱状)の放射波を持つシステム - マッキントッシュ XRT20
ベンディングウェイブ・ユニットによる無指向性の放射波によるシステム - ジャーマンフィジックス
レコードプレーヤー
人物・エピソード
著書・関連書籍
単行本
オーディオ羅針盤
音の素描
僕のオーディオ人生
新レコード演奏家論
関連書籍
菅野レコーディングバイブル(嶋護 編著)
関連項目
オーディオ
オーディオマニア
オーディオ評論家
江川三郎
長岡鉄男
脚注^ “菅野沖彦 ピュアオーディオへの誘い - PHILE WEB
^ 菅野沖彦さん死去
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