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すがの たもつ
菅野 完
生誕 (1974-11-12) 1974年11月12日(49歳)
日本・奈良県天理市
住居 日本・東京都港区[1][2]
職業著作家[1]
フリーライター[3][4]
活動家[5]
受賞石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞(草の根民主主義部門)[6]
第1回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞[7]
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菅野 完(すがの たもつ、1974年 〈昭和49年〉11月12日[8] - )は、日本の著述家、活動家。「株式会社コーポレーション」代表取締役社長[9]。愛称はノイホイ[注釈 1]。 奈良県出身[2]。高校時代は部落解放同盟で活動する[10]。アメリカ留学を経て帰国。様々な職歴を経て、サラリーマンとなった[11][注釈 2]。2005年5月から2014年2月までもしもしホットライン(現・りらいあコミュニケーションズ)勤務[13]。生活産業サービス事業部、IT・エンジニアリング事業部第二サービス室に配属[14]。 2013年に初の単著を出版した際、奥付の職業は「サラリーマン」であった[11]。BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)サービス企業で企画営業を担当していたという[15]。この頃、レイシストをしばき隊の幹部として活動していたが[16]、組織内での問題行動により(後述)反差別運動団体から距離を置いている[17]。 2015年2月からは菅野完名義で、扶桑社が運営するWebメディア「HARBOR BUSINESS Online(ハーバー・ビジネス・オンライン)」に「草の根保守の蠢動」を連載[1][18][19][20]。2016年5月にそれをまとめた書籍『日本会議の研究』を出版[18]。同年6月・月間ベストセラー(単行本総合)部門の10位となり[21]、8月29日時点で6刷15万3千部を発行している[18]。東京都港区在住[2]。2020年時点で、立憲民主党参議院議員の石垣のりこの議員秘書であった[22]。2020年10月、日本学術会議会員の任命問題に対しハンガー・ストライキを行なった[23][24][25]。 示現舎の三品純は菅野と話した時の印象を自身のTwitterで「菅野自身は部落民というアイデンティティを持っていた。」と述べている[26]。 祖父の姉の夫は天理市議会議長を務めた菅野留次郎[27]。
経歴
人物
親族
政治活動・思想
「右翼」「保守主義者」を自称している[5][28]。右翼は、玄洋社に始まり、「民権」「愛国」「尊王」「大アジア主義」の精神が基本にあるべきと主張し[29]、「最大公約数として天皇陛下万歳といえるかどうかという共通項があると思う。」としている[30]。保守主義者を「ドラスティックな改革の進め方を拒みつつ、自分の周り半径数十メートルの生活圏内のメンテナンスを、驕らずたかぶらず取り組み続ける人々」と定義している[30]。
『正論』2016年9月号で、菅野の発想は朝日新聞に近く、左か右かでいえば、「左」であると評されている[31]。
Twitterで、自民党籍など[32][リンク切れ]、日本共産党と公明党以外の政党の正式な党籍を複数取得していると発言している[33][リンク切れ]。
立憲民主党との関係
菅野の個人会社である株式会社「コーポレーション」には、2020年に立憲民主党 (日本 2017)本部から番組制作費用代などの名目で計7,523,010円が支払われている[34]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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