菅沼久義
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すがぬま ひさよし
菅沼 久義
プロフィール
愛称すがぽん
[1]、きゅうちゃん[1]、マヌガス[1]
性別男性
出身地 日本東京都[2]
生年月日 (1978-09-30) 1978年9月30日(45歳)
血液型O型[2]
職業声優
事務所青二プロダクション[3]
公式サイト菅沼 久義|株式会社青二プロダクション
公称サイズ(時期不明)[4]
身長 / 体重172[2] cm / 54 kg
靴のサイズ26.0[2] cm
活動
活動期間1990年代 -
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

菅沼 久義(すがぬま ひさよし、1978年[5]9月30日[2] - )は、日本男性声優東京都出身[2]青二プロダクション所属[3]
略歴
生い立ち

子供の頃はテレビドラマあばれはっちゃく』が好きであり、主人公のあばれはっちゃくになろうとしていた[6]

エンドロールを観ていたところクレジットに劇団名が書いてあり、「劇団に入団して、子役になれば、“あばれはっちゃく”になれる」と気が付いて、小学2 - 3年の時に親に「子役になりたい!」と言っていた[6]。しかしあくまでも主人公のあばれはっちゃく本人になりたかっただけであり、役者そのものになろうと思ったわけではなかった[7]

親からは「劇団に入団したければ義務教育を終えて、高校卒業してから」と言われ、「それまでは勉強を頑張る!」と約束していた[6]
デビュー前

中学3年生の時に『機動戦士Vガンダム』を見たことがきっかけでアニメ雑誌を読んでいたところ、菅沼が子役が演じていると思っていた主人公のウッソ・エヴィン役の声が当時、20歳だった阪口大助が演じてることに衝撃を受け、声優という職業を志した[6][8][9]。2009年時点でも阪口を目標として挙げている[10]

高校時代から観劇が好きになり、偶々父に演出家をしている友人ができ、彼が父のツテで色々な芝居のチケットをくれて来るため、一緒に観に行っていたという[7]

一番よく連れていってくれたのは、演劇集団キャラメルボックス渡辺えりが座長であった劇団3○○後藤ひろひとが座長であった遊気舎[7]。このことは、もの凄く贅沢なラインナップであったが、その凄さが何もわからなかった[7]蜷川幸雄の芝居に至っては、「つまんね?」と思い観ていたという[7]

昔は「芝居」とはどういうものかはわかっていたが、声優の仕事とそれがイコールで結ばれておらず、高校時代も「僕は声優になるんだから、生の芝居のことは特に勉強しなくてもいいだろう」と、なんとなく思っていた[7]。その後、声優の仕事を初めてしていたところ、「なんて僕は愚かだったんだろう」、「声優もやっぱり役者なんだなぁ」と実感していたという[7]

阪口と同じ事務所に所属しようと、のちに所属することになる青二プロダクションについて調べ、その養成所である青二塾について親に話したところ「ちゃんと高校に行きながら通うならいい」と言われ、高校在学中に日曜日にレッスンがあった日曜生を経て[6]、同塾東京校18期[2]として入塾[11]。同期に立花慎之介[12]三浦祥朗がいる[11]

目つきもギラギラしており、やる気は誰にも負けていなかったことから日曜生時代から、無遅刻・無欠席であったという[11]

青二塾でも演技の勉強はしていたが、スタニスラフスキー・システムの習得は、ピンとはきていなかった[7]。その時はスタニスラフスキー・システムの基礎にある五感を意識したリアルな演技の訓練もして、演技論の本も読んでいたが「これは声優には必要ないんじゃないかな?」と思っていたという[7]
デビュー後

初仕事はテレビ番組の顔出しの仕事であり、青二に所属してからの19歳の時に三浦と一緒に出演した日本テレビ系列クイズ番組ゲームバラエティ番組マジカル頭脳パワー!!』の問題に登場するワイプ画面の中の男だった[11]。テレビアニメ『ロードス島戦記-英雄騎士伝-』のダークエルフ役でアニメデビュー[11]。アフレコ時は、ガチガチだったため、スタジオがビルの地下にあったことくらいしか覚えていなかった[11]。ただし、台本はものすごく読み込み、主人公を演じていた野島健児の台詞まで生意気にも、「自分が主役だったらこんなふうに演じるなぁ」と思いながら練習したりしていた[11]

デビューして間も無い頃、谷山紀章ら5人(途中でメンバー交代あり)で阪口が出演していた『卒業M』の弟分でもあるユニット「G.I.zoku」[13]を組んで活動していた[14]

当時はキャラ表を見ていたところ、受けていた役は、『卒業M』で阪口が演じていたキャラと同じようなポジションで「これは、絶対に受かりたい! 僕がやらねば誰がやる!」という気持ちで、合格したという[14]。ユニットお披露目の時に初めて会い、「阪口さんに憧れてこの業界に入ったんです!」と伝えていた[14]。その時、石川英郎は「ついに大助に憧れるヤツが出てきたぜ?!」と大爆笑になり、阪口さんも、ずいぶん照れくさそうにしていたという[14]。当時は、20歳そこそこで、若い男性声優が大役を射止めるのは珍しかったため、「阪口 大助の再来」と言ってくれる人物もおり、とても嬉しかったという[14]。ただしその時に、同じ『卒業M』のメンバーであった草尾毅が、「この二人で潰し合いだな」とニヤニヤされていたという[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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