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出典検索?: "菅原高視"
凡例菅原 高視
時代平安時代前期
生誕貞観18年(876年)
死没延喜13年7月21日(913年8月25日)
官位従五位上・大学頭
主君宇多天皇→醍醐天皇
氏族菅原朝臣
父母父:菅原道真、母:島田宣来子(島田忠臣の娘)
兄弟高視、衍子、旧風、寧茂、景行、景鑑、淳茂、弘茂、兼茂、宣茂、淑茂、滋殖、尚子、寧子、俊子
妻正室:菅原宗岳娘
子文時、雅規、緝熙、至貫、庶幾
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菅原 高視(すがわら の たかみ)は、平安時代前期の貴族。右大臣・菅原道真の長男。官位は従五位上・大学頭。 寛平5年(893年)に文章得業生となり、翌寛平6年(894年)正六位上・三河掾に叙任される。その後、大学頭兼右少弁となるが、延喜元年(901年)昌泰の変が発生すると父の右大臣・菅原道真に連座して土佐介に左遷された。5年後に帰京して大学頭に復している。 延喜13年(913年)7月21日卒去。享年38[1]。 注記のないものは『尊卑分脈』による。
経歴
官歴
寛平5年(893年) 日付不詳:文章得業生
時期不詳:正六位上[2]
寛平6年(894年) 8月16日:三河掾[2]
時期不詳:従五位上[3]。右少弁[3]。大学頭[4]
延喜元年(901年) 正月27日:土佐介(左降)[4]
延喜13年(913年) 7月21日:卒去
系譜
父:菅原道真
母:島田宣来子 - 島田忠臣の娘
妻:菅原宗岳(または宗岡氏)の娘
男子:菅原文時(899-981)
男子:菅原雅規(919-979)
生母不明の子女
男子:菅原緝熙
男子:菅原至貫[5]
男子:菅原庶幾
脚注^ 『尊卑分脈』
^ a b 『葉黄記』宝治元年4月27日条
^ a b 『弁官補任』
^ a b 『政事要略』巻22
^ 「菅原系図」『続群書類従』巻第175所収
参考文献
飯倉晴武校訂『弁官補任 第一』続群書類従完成会、1983年
宮崎康充編『国司補任 第三』続群書類従完成会、1990年
『尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1958年
関連項目菅原高視遺跡碑
(高知県高知市)
寺社
潮江天満宮 (高知県高知市) - 高視が左遷先の土佐国で父・道真死去の報を聞き、創建したと伝わる。住居跡のある山は、高視にちなみ「高見山」と呼ばれている。
安楽寺 (高知県高知市) - 四国八十八箇所第30番札所奥の院。高視による開基と伝わる。
氏族
土佐清岡氏 - 高視の子孫を称する。