株式会社荻野屋横川本店
種類株式会社
本社所在地 日本
〒379-0301
群馬県安中市松井田町横川399
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度20分11.7秒 東経138度44分12.9秒 / 北緯36.336583度 東経138.736917度 / 36.336583; 138.736917
株式会社荻野屋(おぎのや)は、群馬県安中市松井田町横川に本店を置く弁当製造販売業を手掛ける会社。「おぎのや」の名で駅弁「峠の釜めし」を製造・販売している。関連会社に、サービスエリア内の飲食店やドライブインの運営を行う「株式会社おぎのやドライブイン」などがある。 1885年(明治18年)に信越本線の横川駅前に本店を構え創業[1]。 信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間は碓氷峠の険難に阻まれており、専用の補助機関車を連結して運転していた。1963年(昭和38年)7月15日のラック式鉄道(アプト式)廃止までは機関車をED42形電気機関車などへ付け替えるため、同年7月15日の粘着式鉄道への切り替えから1997年(平成9年)10月1日に北陸新幹線の高崎駅 - 長野駅間が開業するまでの間はEF63形電気機関車の連結を行うため、全ての列車が当駅に長時間停車していた。従って、当駅は駅弁を販売するに適していた。駅弁を売り終え、列車が発車する際には、販売員一同が整列し、列車がホームを去るまで深々とお辞儀をするのがお決まりであった[2]。 業績は必ずしも好調ではなかったが、1957年(昭和32年)に「峠の釜めし」[3]を発売してヒットを飛ばしたことにより、脚光を浴びるようになった。 1967年(昭和42年)には当時の同社経営者をモデルとしたテレビドラマ『土曜劇場「釜めし夫婦」』がフジテレビ系列で放映された。この作品が「峠の釜めし」と「おぎのや」の存在を全国に知らしめた。 自動車社会の到来にあわせ、国道18号脇に工場兼ドライブインを建設する拡大路線をとり、軽井沢へ向かう多くの観光バスが食事休憩に立ち寄る名所にまで成長させた。上信越自動車道開通後はサービスエリアや軽井沢各所への出店により、横川を経由しない自動車の流れにも対応している。ドライブイン展開の経営路線はその後拡大され、長野県各所にドライブインを有している。諏訪インターチェンジ近くにある「峠の釜めし本舗 おぎのや諏訪店(おぎのやドライブイン諏訪インター店)」 北陸新幹線の先行開業に伴う横川 - 軽井沢駅間の廃止により動向が懸念されたが、このように横川駅での駅弁販売以外の売り上げを7割以上に高めていたことにより、経営への影響は最小限であった。
会社概要
沿革
1885年(明治18年)10月15日 - 創業、横川駅にて構内営業開始。駅弁「おむすび」販売開始。
1937年(昭和12年)7月8日 - 高見澤勝一、2代目社長に就任。
1946年(昭和21年)8月12日 - 高見澤一重、3代目社長に就任。
1947年(昭和22年) - さつま芋弁当、コロッケ販売開始。
1948年(昭和23年) - イカの鉱泉漬焼販売開始。
1949年(昭和24年) - 紅茶(砂糖入手不能にて塩入り)販売開始。
1950年(昭和25年) - 特選米「幕の内弁当」販売開始。
1951年(昭和26年)5月12日 - 高見澤みねじ、4代目社長に就任。
1957年(昭和32年)
高見澤みねじ、「峠の釜めし」を創案。
11月1日 - 厚生大臣賞受賞。
1958年(昭和33年)
2月1日 - 「峠の釜めし」を横川駅にて発売開始[4]。
10月18日 - 昭和天皇が富山の第13回国民体育大会に行幸した折に、横川駅で「峠の釜めし」を列車に積み込む。
1961年(昭和36年) - 島屋横浜店駅弁大会に「峠の釜めし」出品。