荻窪会談(おぎくぼかいだん)は、1940年7月19日に公爵近衛文麿が東京府東京市杉並区[注釈 1]の私邸(荻外荘)に於いて開いた会談。日中戦争が長期化・大規模化する中、ドイツ軍の電撃戦の成功によって、ドイツはベルギー、フランスを席巻し、さらにフランスを降伏させた[1]ことで日本の支配層の南進の野望が大きくなった時代背景がある[2]。1940年7月19日、荻外荘で行われた荻窪会談。左から近衛文麿次期総理、松岡洋右次期外相、吉田善吾海相、東條英機次期陸相
概要
近衛以外の出席者は陸海軍が推した東條英機、吉田善吾の陸海相候補と、近衛自らが選んだ外相候補の松岡洋右。
戦争路線の方針決定。
日独伊枢軸の強化。[3]
日ソ不可侵協定の締結。
英・仏・蘭・葡の植民地を東亜新秩序に包含せしむるための積極的処理の実施。
その後
新内閣による日独伊三国軍事同盟の締結。
全政党解散、大政翼賛会の発会。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 現在のように東京都になったのは1943年(昭和18年)のことである。
出典^ 「幕僚たちの真珠湾」波多野澄雄著 ISBN 978-4-642-06394-4
^ 「杉並の戦争と平和」すぎなみ平和のための戦争・原爆展実行委員会著 ISBN 4-87662-380-5
^ 三宅正樹『ヒトラーと第二次世界大戦』新訂版 清水書院 2017年 ISBN 978-4389441104 、p.179-180