荘公贖
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荘公 姜贖

第12代公
王朝斉
在位期間
前794年 - 前731年
都城臨?
姓・諱姜贖
諡号荘公
生年不詳
没年前731年
成公

荘公 贖(そうこう しょく、? - 紀元前731年)は、の第12代君主。荘公というのはで、贖はである。原文では荘公購と表記されるが、購(こう)は贖(しょく)の誤りとされている[1]。前荘公とも作られ、彼の後裔に後にもう一人荘公を諡とする君主がいる(→荘公光)。
生涯

成公の子として生まれる。

成公9年(前795年)、成公が薨去したため、子の贖が立って斉君となった[2](以降は「荘公」と表記する)。

『史記』には成公在位中の記事として、以下の2つの出来事を記す。荘公24年(前771年)、幽王犬戎(けんじゅう)[3]に殺され、周は都を東の?(らく)[4]に遷した[2]。荘公24年(前739年)に昭侯が臣下に殺害された[2]

荘公64年(前731年)、荘公が薨去し、子の禄甫(ろくほ)が立って斉君(釐公)となる[2]
脚注^ 『史記1』(筑摩世界文學大系6 筑摩書房)p211脚注(20)「購は贖の誤りか」
^ a b c d 『史記』「斉太公世家」
^ 犬戎は西の異民族。
^ 現在の河南省洛陽市付近。

史料

ウィキソースに以下の原文があります。

史記』 卷三十二 齊太公世家 第二


史記(繁体字中国語)

参考文献

小竹文夫小竹武夫訳『筑摩世界文學大系6 史記1』(筑摩書房1999年










姜斉の第12代(前794年 - 前731年)


呂尚(太公望)前1021?-前1000

丁公前999-?

乙公

癸公

哀公?-前863

胡公前862-前860

献公前859-前851

武公前850-前825

前824-前816

文公前815-前804

成公前803-前795

荘公贖前794-前731

釐公前730-前698

襄公前697-前686

公孫無知前685

桓公前685-前643

斉侯無詭前643

孝公前642-前633

昭公前632-前613

斉君舎前613

懿公前612-前609

恵公前608-前599

頃公前599-前582

霊公前581-前554

荘公光前553-前548

景公前547-前490

晏孺子荼前489

悼公前488-前485

簡公前484-前481

平公前480-前456

宣公前455-前405

康公前404-前379

Category:斉の君主


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