荘伯
[Wikipedia|▼Menu]

荘伯(そうはく、? - 紀元前716年)は、中国春秋時代公族で、分家の曲沃の第2代当主(在位:紀元前731年 - 紀元前716年)。は?(ぜん)、は荘。桓叔の長男。
生涯

桓叔(成師)の没後に曲沃の当主となった?は、父の悲願である晋の翼宗家打倒の為に活発的に行動を起こす。紀元前724年には、翼宗家へ乗り込み、孝侯を暗殺するも、翼の家臣団が子の鄂侯を擁立したために曲沃へと逃げ戻った。

そこで?は、今度は?を味方に付け、紀元前719年に再び翼へと攻め込んだ。この時に桓王が?に援助をした事で、鄂侯は随に出奔した。?は周王朝が自分の味方に付いた事で、晋の当主となって桓叔の悲願をかなえる事が出来ると期待したが、周王朝が鄂侯の子(『春秋左氏伝』では弟)の哀侯を擁立した事で、?は裏切られたと激怒し、哀侯も放逐してしまう。しかし、これに対して、翌紀元前718年に王室が西?公に?の討伐を命じた為、?は再び曲沃へと逃げ帰った。

紀元前716年、失意の?は子の称(後の武公)に後事を託して逝去する。

死後、「荘」を諡され、荘伯と呼ばれる。
関連項目

桓叔

武公 (晋)










の君主(曲沃分家第2代)


唐叔虞

晋侯燮

武侯

成侯



靖侯前858-前841

釐侯前840-前823

献侯前822-前812

穆侯前811-前785

殤叔前784-前781

文侯前780-前746

成師(桓叔)の曲沃就封で、晋は翼の宗家と曲沃の分家に分裂
翼宗家

昭侯前745-前739

孝侯前739-前724

鄂侯前723-前718

哀侯前717-前710

小子侯前709-前706

晋侯緡前706-前679断絶

曲沃分家

桓叔前745-前731

荘伯前731-前716

武公前716-前678

曲沃の武公が翼の晋侯緡を滅ぼし、晋が再統一される


武公前678-前677

献公前676-前651

奚斉前651

卓子前651

恵公前650-前637

懐公前637-前636

文公前636-前628

襄公前627-前621

霊公前620-前607

成公前606-前600

景公前599-前581

前580-前573

悼公前572-前558

平公前557-前532

昭公前531-前526

頃公前525-前512

定公前511-前475

出公前474-前457

哀公前456-前438

幽公前437-前420

烈公前419-前393

孝公前392-前378

静公前377-前376

カテゴリ


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:6222 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef