荘伯(そうはく、? - 紀元前716年)は、中国春秋時代の晋の公族で、分家の曲沃の第2代当主(在位:紀元前731年 - 紀元前716年)。姓は姫、諱は?(ぜん)、諡は荘。桓叔の長男。 桓叔(成師)の没後に曲沃の当主となった?は、父の悲願である晋の翼宗家打倒の為に活発的に行動を起こす。紀元前724年には、翼宗家へ乗り込み、孝侯を暗殺するも、翼の家臣団が子の鄂侯を擁立したために曲沃へと逃げ戻った。 そこで?は、今度は鄭や?を味方に付け、紀元前719年に再び翼へと攻め込んだ。この時に周の桓王が?に援助をした事で、鄂侯は随に出奔した。?は周王朝が自分の味方に付いた事で、晋の当主となって桓叔の悲願をかなえる事が出来ると期待したが、周王朝が鄂侯の子(『春秋左氏伝』では弟)の哀侯を擁立した事で、?は裏切られたと激怒し、哀侯も放逐してしまう。しかし、これに対して、翌紀元前718年に王室が西?公に?の討伐を命じた為、?は再び曲沃へと逃げ帰った。 紀元前716年、失意の?は子の称(後の武公)に後事を託して逝去する。 死後、「荘」を諡され、荘伯と呼ばれる。
生涯
関連項目
桓叔
武公 (晋)
表
話
編
成師(桓叔)の曲沃就封で、晋は翼の宗家と曲沃の分家に分裂
翼宗家
昭侯前745-前739
孝侯前739-前724
鄂侯前723-前718
哀侯前717-前710
小子侯前709-前706
晋侯緡前706-前679断絶
曲沃分家
桓叔前745-前731
荘伯前731-前716
武公前716-前678
曲沃の武公が翼の晋侯緡を滅ぼし、晋が再統一される
武公前678-前677
献公前676-前651
奚斉前651
卓子前651
恵公前650-前637
懐公前637-前636
文公前636-前628
襄公前627-前621
霊公前620-前607
成公前606-前600
景公前599-前581
詞前580-前573
悼公前572-前558
平公前557-前532
昭公前531-前526
頃公前525-前512
定公前511-前475
出公前474-前457
哀公前456-前438
幽公前437-前420
烈公前419-前393
孝公前392-前378
静公前377-前376
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