荒町_(仙台市)
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荒町
東側の町並み(2010年9月)
荒町仙台市中心部の地図を表示荒町宮城県の地図を表示荒町の位置
座標: 北緯38度14分57.04秒 東経140度53分6.4秒 / 北緯38.2491778度 東経140.885111度 / 38.2491778; 140.885111
日本
都道府県 宮城県
市町村 仙台市
行政区若林区
人口 (2017年(平成29年)4月1日現在)[1]
 - 計1,073人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号984-0073
市外局番022[2]
ナンバープレート仙台

荒町(あらまち)は、宮城県仙台市若林区市中心部から見ると南東に位置する町である。もと米沢にあった新町(あらまち)が、領主の伊達氏に従って16世紀末に住民ごと岩出山に、続いて17世紀初めに仙台に移転して荒町と改称、さらに一度仙台の中で移転して現在地に落ち着いた。伊達御供の御譜代町の一つで、古くからの商店街として続いている。
目次

1 概要

2 歴史

2.1 荒町の割り出し

2.2 商業特権

2.3 江戸時代の町並みと商況

2.4 江戸時代の文化

2.5 明治時代の区割りの変遷

2.6 近代の荒町

2.7 現代の荒町


3 年表

4 世帯数と人口

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク

概要

荒町は現在の地理でいうと、若林区の西の端、宮城県道235号荒井荒町線道路の西端で、国道4号(愛宕上杉通)から毘沙門堂前までの道の両側にあたる。1960年代から仙台市が進めた住居表示導入に伴う町名変更が及ばなかったところで、北や南との境界も少々入り組んでいる。北に接するのは、西から東へ、清水小路、東七番丁、東八番丁、東九番丁、連坊小路。南に接するのは、西から東へ、土樋、石垣町、弓ノ町である。現在の道路幅は片側1車線、計2車線の車道が9メートル、左右の歩道が3メートルの計12メートルである。バス路線が通り、朝夕の交通量が多い。

仙台でははじめ現在の本荒町に置かれたが、1628年頃に奥州街道沿いの現在地に移転した。奥州街道筋の町で、江戸に近い南東にあった。?の専売権を与えられ、明治時代まで麹屋が多かった。江戸時代から現在まで、豪商が軒を連ねたり、中心商店街・繁華街になったことはないが、庶民的な商工業地であり続けている。町の守り神として奥州仙臺七福神の毘沙門堂(満福寺境内)があり、荒町住民が盛り立てる。祭礼では、江戸時代に相撲の興行、戦後は星空コンサートや夜空のオーケストラがあって活気づく。
歴史
荒町の割り出し

戦国時代伊達氏米沢を本拠にていたとき、新町は米沢六町のひとつで、その中でもっとも新しい町であったかと想像される[3]奥州仕置によって岩出山に転じることになった伊達政宗は、岩出山城下に区割りして作った新町に、米沢から移った新町の町人を住まわせた。仙台に移るときも住民を移し、同時に名を荒町と改めさせたらしい。

初め、荒町は仙台城下の中心である芭蕉の辻の南西、南北に走る奥州街道の一本西の裏通りに設定された。1628年(寛永5年)頃、仙台の南東に若林城が築かれると、そこの城下町整備とともに、仙台の城下町も南東方向に大きく範囲を拡張した。1627年(寛永4年)か1628年(寛永5年)頃に荒町も南東に移転し、奥州街道に沿う東西に長い町になった[4]

新しい荒町の西端で奥州街道は北に折れて田町となる。街道は国道4号で終わる現在の西端より伸び、東北学院大学があるブロックに突き当たる細い道である。東の端は毘沙門堂の前で、南鍛冶町と隣り合う。この東端が、仙台の城下町と若林の城下町の境界線で、荒町は仙台に属した[5]跡地は本荒町または元荒町と呼ばれ、幕末まで武家屋敷が並んだ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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