この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "荒木雅博"
荒木 雅博中日一軍内野守備走塁コーチ時代
2023年6月6日 埼玉県営大宮公園野球場
基本情報
国籍 日本
出身地熊本県菊池郡菊陽町
生年月日 (1977-09-13) 1977年9月13日(46歳)
身長
体重180 cm
77 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手、遊撃手、外野手
プロ入り1995年 ドラフト1位
初出場1997年5月31日
最終出場2018年10月13日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
熊本県立熊本工業高等学校
中日ドラゴンズ (1996 - 2018, 2019)
コーチ歴
中日ドラゴンズ (2018, 2019 - 2023)
国際大会
代表チーム 日本
五輪2008年
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。
荒木 雅博(あらき まさひろ、1977年9月13日 - )は、熊本県菊池郡菊陽町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家。
現役時代は2008年から中日選手会長を務めた。井端弘和との二遊間コンビは「アライバ」の愛称で親しまれた。 小学1?2年の頃から地区のソフトボール大会に出場していた。小学3?4年の頃にはキャッチャーとしてプレーしたことが印象深く、小学6年生の頃にはピッチャーとして出場し優勝した[1]。 熊本工業時代は2度春のセンバツに出場。1度目は、初めての甲子園球場に舞い上がっていてがむしゃらだったので、詳細な記憶は無い[2]。2度目は、前回のリベンジをしたいという強い気持ちがあったが、直前の練習試合で帰塁した際に右手の甲を骨折して、1回戦は出場できなかった。2回戦はギプスを外し、怪我をおして出場した。ショートゴロを取って送球時に患部に痛みが走り、悪送球となった。打撃成績は、4打数0安打だった[3]。3年生時の夏は県大会準決勝で敗退した[4]。藤崎台球場で終わるか、甲子園を決めるかというイメージでいたが、藤崎台球場が改修工事中で使えず、八代市民球場で戦った。九州学院高等学校との対戦で、今村文昭投手に抑えられ、みんな打てなかった[5]。高校では2学年先輩に高波文一、1学年先輩に田中秀太、同期に松本輝と田中雅興がいた。二遊間を組んでいた田中秀太は、厳しい時には厳しいが基本的には後輩に対して優しい人で、自分は先輩から厳しくされていたにもかかわらず、後輩にはそれをしなかった。その姿を見て、後輩には優しくしないといけない、と荒木は思った[6]。
経歴
幼少期
プロ入り前