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荒木 経惟
(あらき のぶよし)
国籍 日本
出身地 日本・東京府東京市下谷区(現・東京都台東区)三ノ輪
生年月日 (1940-05-25) 1940年5月25日(83歳)
最終学歴千葉大学工学部卒業
事務所フリー
活動時期1964年 -
弟子野村佐紀子
公式サイト ⇒www.arakinobuyoshi.com
受賞歴
第1回太陽賞(1964年、写真集「さっちん」にて)
織部賞(1999年)
第4回安吾賞(2011年)
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荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年〈昭和15年〉5月25日 - )は、日本の写真家、現代美術家。「アラーキー」の愛称で知られ、丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2021年6月) 父の長太郎は下駄職人で、アウトローというわけではなかったが若気の至りで刺青を入れていた。長太郎は近所でも有名なアマチュアカメラマンとしても活躍し、荒木がカメラマンになるきっかけを与えた。生家の近所に位置する「投げ込み寺」として有名な浄閑寺が、彼の死生観を決定付けたと語っている[1]。「吉原 (東京都)」も参照 高校時代からカメラ雑誌やオートバイ雑誌への写真投稿を始め、本人曰く「大学の学費は全て写真投稿による賞金で賄った」という[2]。
経歴
1940年(昭和15年) - 東京府東京市下谷区(現・東京都台東区)三ノ輪で生まれる。
1959年(昭和34年) - 東京都立上野高等学校を卒業する。同期に立花隆がいる。
1963年(昭和38年) - 千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業後、電通に宣伝用カメラマンとして勤める。
1964年(昭和39年) - 写真集「さっちん」で第1回太陽賞受賞。
1971年(昭和46年) - 電通で同僚の青木陽子と結婚する。
1972年(昭和47年) - 電通を退社してフリーになる。
1974年(昭和49年) - 東松照明、細江英公、森山大道、横須賀功光、深瀬昌久らと「WORKSHOP写真学校
1988年(昭和63年) - 安斎信彦、田宮史郎と、三人の頭文字からなる事務所「AaT ROOM」を設立する。
1990年(平成2年) - 「写真論」「東京物語」で第2回写真の会賞受賞。日本写真協会年度賞受賞。
1991年(平成3年) - 東川賞国内作家賞受賞。
1992年(平成4年) - 「空景/近景」で第4回写真の会賞受賞。
1994年(平成6年) - 日本文化デザイン賞大賞受賞。
1999年(平成11年) - 織部賞受賞。
2008年(平成20年) - オーストリアより科学芸術勲章受章。
2011年(平成23年) - 安吾賞受賞。
2013年(平成25年) - 毎日芸術賞特別賞受賞。
概要