荒木町
町丁
杉大門通り
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分25秒 東経139度43分24秒 / 北緯35.690244度 東経139.7234度 / 35.690244; 139.7234
国 日本
都道府県 東京
特別区 新宿区
地域四谷地域
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1])
人口2,510 人
世帯数1,707 世帯
面積([2])
0.088378554 km²
人口密度28400.56 人/km²
郵便番号160-0007[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート練馬
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夜の荒木町
荒木町(あらきちょう)は、東京都新宿区の町名。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示未実施。 新宿区の南東部に位置する。北部は住吉町と片町に、東部は津の守坂通りに接し、これを境に四谷坂町と四谷三栄町に接する。南部は四谷三丁目に接する。西部は舟町に接する。町域中央部の荒木マンション裏にある池を最底部とした摺鉢状の地形である。かつての花街の面影を残しているが、高層建造物なども見られる。 荒木町一帯は、江戸時代には美濃国高須藩藩主・松平義行の屋敷があったところであった。荒木町北辺に接している津の守坂通りも、義行(摂津守)の名が由来となっている。 この屋敷には滝を伴った大きな池があった。この池で徳川家康(義行という説もある)が乗馬用の策(ムチ)を洗ったことから「策の池」と呼ばれた。明治時代には屋敷が退き池や庭園が一般にも知られるようになり、荒木町一帯は東京近郊でも名の知られた景勝地となり料理屋が軒を連ね芸者らが行き交う風情ある花街となった。最盛期を迎えたのが関東大震災後で他の花街が被災し客が荒木町に流れ、料理屋13軒、待合63軒、置屋86軒、芸妓252名であった[5]。だが戦争により花街の営業が縮小され、昭和20年(1945年)、空襲で壊滅、戦後に復興するも昭和40年代(1966年-1975年)に衰退、昭和50年代末(1980年代前半)に終焉した[6]。町域内には今でも車力門通り 2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口 国勢調査による世帯数の推移。 世帯数推移年世帯数 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年8月時点)[13]。 町域内には鉄道駅はないが南部は地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目駅が、北部は都営新宿線の曙橋駅がそれぞれ利用できる。 町域北西部を外苑東通りが縦貫している。また北部は靖国通りが接していないが、至近にある。南部も新宿通りが接してはいないが、至近にある。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。 経済センサスによる事業所数の推移。 事業者数推移年事業者数
地理
歴史
世帯数と人口
世帯数 : 1,707世帯
人口 : 2,510人
人口の変遷
1995年(平成7年)[7]1,430
2000年(平成12年)[8]1,619
2005年(平成17年)[9]1,877
2010年(平成22年)[10]2,271
2015年(平成27年)[11]2,100
2020年(令和2年)[12]2,623
世帯数の変遷
1995年(平成7年)[7]726
2000年(平成12年)[8]941
2005年(平成17年)[9]1,182
2010年(平成22年)[10]1,553
2015年(平成27年)[11]1,396
2020年(令和2年)[12]1,783
学区
区域 : 全域
小学校 : 新宿区立四谷小学校
中学校 : 新宿区立四谷中学校
交通
鉄道
道路
事業所
事業所数 : 316事業所
従業員数 : 3,007人
事業者数の変遷
2016年(平成28年)[15]320
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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