荒木健太郎
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この項目では、気象学者について記述しています。俳優の同名の人物については「荒木健太郎 (俳優)」をご覧ください。

荒木 健太郎

生誕 (1984-11-30) 1984年11月30日(39歳)
日本
国籍 日本
研究分野気象学
研究機関気象庁気象研究所
出身校気象大学校
三重大学大学院生物資源学研究科
プロジェクト:人物伝
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荒木 健太郎(あらき けんたろう、1984年11月30日 - )は、日本気象学者。雲研究者。専門は雲科学・気象学。現在、気象庁気象研究所主任研究官、三重大学大学院生物資源学研究科協力研究員、防災科学技術研究所客員研究員[1][2]
来歴

茨城県出身。茨城県立竹園高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部中退。気象庁気象大学校卒業。三重大学大学院生物資源学研究科博士(学術)学位を取得。地方気象台予報観測業務に従事した後、現職に至る。
専門は雲科学・気象学防災減災のために、豪雨豪雪竜巻などによる気象災害をもたらすの仕組み、雲の物理学の研究に取り組んでいる。[1][2]
著書に『すごすぎる天気の図鑑』シリーズ、『読み終えた瞬間、空が美しく見える気象のはなし』、『世界でいちばん素敵な雲の教室』、『雲を愛する技術』、『雲の中では何が起こっているのか』など、監修映画天気の子』(新海誠監督)、『BLUE MOMENT ブルーモーメント』、『Newton別冊 天気と気象』などがある。
経歴

2003年4月 - 2004年3月 慶應義塾大学経済学部(中退)
2004年4月 - 2008年3月 気象庁 気象大学校
2008年4月 - 2010年3月 新潟地方気象台
2010年4月 - 2012年3月 銚子地方気象台
2012年4月 - 2013年5月 気象庁 気象研究所 物理気象研究部 第一研究室 研究官
2013年5月 - 2015年3月 気象庁気象研究所 予報研究部 第四研究室 研究官
2015年4月 - 2019年3月 気象庁気象研究所 予報研究部 第三研究室 研究官
2019年4月 - 2022年10月 気象庁気象研究所 台風・災害気象研究部 第二研究室 研究官
2022年10月 - 現在 気象庁気象研究所 台風・災害気象研究部 第二研究室 主任研究官
2019年9月 - 現在 国立研究開発法人 防災科学技術研究所 客員研究員
2019年4月 - 現在 三重大学 大学院 生物資源学研究科 協力研究員
2010年5月 - 現在 日本雪氷学会 電子情報委員会委員
2023年5月 - 現在 日本雪氷学会 電子情報委員会委員長
2021年5月 - 2023年5月 日本雪氷学会 財務委員会委員
2021年5月 - 現在 日本雪氷学会 理事会役員
2016年6月 - 現在 日本気象学会 気象研究ノート編集委員会委員[1][2]
人物・エピソード

気象庁気象研究所研究官として災害をもたらす雲の仕組みについての研究を行う一方、雲研究者として一般向けの気象学についての書籍を多く執筆・監修し、講演活動などを通して市民の防災リテラシーの向上に取り組んでいる[3][4]。2019年7月に公開された映画「天気の子」(新海誠監督)の気象監修を務め、本人役で声の出演もした。TwitterなどのSNSでは、日々美しい空や雲の写真をアップしているほか、気象現象のしくみについて解説[5][6][7] したり、気象情報の発信も行っている[8]

雲の微物理過程の研究[9]、大気・雲の放射観測研究[10]積乱雲による豪雨[11]南岸低気圧による首都圏の豪雪[12] などの実態解明や予測のための研究に取り組んでいる。特に南岸低気圧による首都圏の豪雪の研究では、市民から降雪時にスマートフォンで雪の結晶の画像を募集するという市民参加型の研究(シチズンサイエンス)「#関東雪結晶 プロジェクト[13]」を実施しており、Twitterを通じたデータ提供を呼びかけたことで話題となった[14][15]

茨城県出身の気象学者であり、防災・減災を目的とした雲の研究成果と防災リテラシー向上に貢献したことで、令和4年度茨城県表彰において「新しいいばらきづくり表彰」を受賞[16]。なお、荒木は茨城県内全ての小中学校や高校など824校に著書2冊を寄贈しており、児童や生徒に気象について興味を持つきっかけを与え、防災への意識を高めたいとしている[17]

小さな頃から雲が好きだったわけではなかった。数学が好きだったために、数学を使って身の回りの生活に関わる分野の研究がしたかったと語っている。そのため慶應義塾大学経済学部に進学して計量経済学を志したが、当時は良い師との出会いがなかった。そのため、同じく生活に深く関わる分野である気象学を志し、気象庁気象大学校に入学した。気象大学校では温帯低気圧の発達についての理論研究に取り組み、日々数式を展開して美しい解を求めていたという[18]

気象大学校卒業後、気象庁の組織である新潟地方気象台と銚子地方気象台に赴任し、予報観測業務に従事した。その際、予測の上手くいかない現象や、実態のよくわかっていない現象を扱うことが多くあり、気象の研究が必要であることを実感したという。また、当時現場で予報を担当していた際、局地的大雨による大雨警報を上手く事前に発表することができたにもかかわらず、夕方のニュースでその大雨を「ゲリラ豪雨」と呼ばれていたことが悔しかったとのちに語っている[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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