荒巻義雄
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ペンネーム旭 太郎
誕生荒巻 邦夫
1933年4月12日
北海道小樽市
職業小説家
国籍 日本
最終学歴北海学園大学短期大学部土木科
活動期間1970年 -
ジャンル架空戦記
SF小説
推理小説
評論

俳句
代表作『要塞シリーズ
艦隊シリーズ
主な受賞歴星雲賞(1972年)
北海道新聞文学賞(2012年)
紺綬褒章(2012年)
札幌芸術賞(2013年)
日本SF大賞(2023年)
デビュー作『大いなる正午』(1970年)
公式サイト ⇒荒巻義雄公式WEBサイト
ウィキポータル 文学
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荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本小説家SF作家推理作家評論家詩人。本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名[1]。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。

日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。
経歴と作品
SF作家デビュー

北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる[2][3]。小学生時代は山中峯太郎南洋一郎海野十三などの戦時冒険SFや、吉川英治宮本武蔵』などを愛読した。札幌第一中学校に入学、山岳部に所属し登山に熱中。その後学制改革により第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)に移り、堀辰雄山本有三などを読む。高校の同期に、後の作家渡辺淳一、および渡辺の小説『阿寒に果つ』に登場し、荒巻の小説『白き日旅立てば不死』のヒロインの加能純子のモデルとなる夭折の天才画家加清純子がいた[4]。のちの漆工芸作家で北海道教育大学名誉教授の伊藤隆一も高校の同級生。

受験のために東京の叔父、兄の家から駿台予備校に通い、実存主義に接しカミュカフカサルトルなどを読む。早稲田大学第一文学部心理学科入学、安部公房により新劇ファンとなり、南里文夫を聴いてジャズファンとなり、またF.ブラウン発狂した宇宙』を読んでSFに関心を持つ[5]。。卒業後、早稲田大学第二文学部露文科に再入学し、国土社で働きつつ、ロシア革命時の軍艦から名前を取った『アブローラ』という同人誌を作り、当時書いた原稿は5000枚ほどだった[5]。出版社に編集者として勤務し、1961年に家業を継ぐため札幌に戻る。北海学園大学短期大学部土木科を卒業し、二級建築士の資格を取得。北建商事株式会社代表取締役に就任。

1965年から1967年、SF同人誌『CORE』を主催、また『宇宙塵』に寄稿。1970年には、評論『術(クンスト)の小説論』、短編『大いなる正午』を『SFマガジン』に発表し、作家・評論家としてデビュー。ニュー・ウェーブSFやシュール・リアリズムの影響をうけ、美術と心理学の素養を生かしたスペキュレイティブ・フィクション的な幻想的SFを発表し、ダリの同題の絵画をモチーフとした短編「柔らかい時計」(初出『宇宙塵』1968年4月122号)は英訳され、1989年にイギリスのSF雑誌「インターゾーン」に掲載されて、高い評価を得た。1971年に『SFマガジン』に発表した中編「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」を長編化した『白き日旅立てば不死』などのヌーボー・ロマン風の作品[6]や、「ユング集合的無意識への夢」であるという連作長編『時の葦舟』[7]などを発表。処女長編『白き日旅立てば不死』は、第1回泉鏡花文学賞の候補となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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