荒井晴彦
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あらい はるひこ
荒井 晴彦

生年月日 (1947-01-26) 1947年1月26日(77歳)
出生地 日本東京都
職業脚本家監督
ジャンル映画ドラマ
活動期間1977年 -
主な作品
映画
赫い髪の女
遠雷
Wの悲劇
ヴァイブレータ
大鹿村騒動記
共喰い
幼な子われらに生まれ
火口のふたり

 受賞
日本アカデミー賞
優秀脚本賞
1980年赫い髪の女
1983年遠雷
1985年Wの悲劇
2015年大鹿村騒動記
その他の賞

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荒井 晴彦(あらい はるひこ、1947年1月26日 - )は、日本脚本家映画監督日本映画大学教授。季刊誌『映画芸術』発行人、編集長。若松プロダクション出身。東京都生まれ。東京都立立川高等学校卒業。早稲田大学第一文学部除籍。
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母方の祖父は日本画家の石井林響

脚本家の田中陽造に師事。

1997年、『身も心も』で脚本・監督を務めた。

「シナリオはシナリオ作家の著作物である」とのスタンスから、監督やプロデューサーが自身に無断で自作シナリオを改変したとして、『時代屋の女房』『眠らない街 新宿鮫』『KT』の公開時に、『月刊シナリオ』や『映画芸術』誌上で強い不快感を表明している。2008年川崎市市民ミュージアムで特集上映“脚本家 荒井晴彦”が開催された際も、この3作品は上映されていない。

2006年絲山秋子の小説『イッツ・オンリー・トーク』を原作とした映画『やわらかい生活』の脚本を手がけるが、荒井のシナリオの『年鑑代表シナリオ集』(日本シナリオ作家協会)への収録を絲山が拒否。荒井とシナリオ作家協会が、出版妨害の禁止等を求め、東京地方裁判所に提訴した(2010年9月10日、東京地裁は荒井らの請求を棄却し、絲山の勝訴となった)。

2009年、映画『アマルフィ 女神の報酬』が脚本クレジットを無記名の状態で公開されたことに関して、シナリオ作家協会が、製作したフジテレビに「脚本家軽視の疑いがあり、これは前代未聞の異常事態」として抗議を申し入れた件で、製作者であるフジテレビのプロデューサーを招いた対談の形で、ことの経緯を問いただしている。このやりとりの模様は作協ニュースにまとめられ、『月刊シナリオ』2009年11月号に掲載された。

2019年、監督脚本を手掛けた『火口のふたり』が第93回キネマ旬報ベスト・テンで初めて日本映画ベストテン第1位を獲得した。

『天上の花』の脚本を巡る訴訟トラブル

2022年、荒井の弟子であり2022年12月9日に公開された映画『
天上の花』のメインライターである脚本家の五藤さや香から、自身がメインライターとして2年の歳月をかけて書き上げていた脚本を共同脚本家である荒井から撮影開始直前になって自身に相談もなく無断でシーンをカット、及び大幅にシーンを付け足すなどの改変をされ、主演俳優も勝手に変えられた上に脚本執筆料も「日本シナリオ作家協会が推奨する脚本料である製作費の5%」に到底及ばない金額を支払われるなどの行為をされたとして、五藤から自身への説明責任、及び謝罪と正式なルールに則った脚本執筆料を支払うよう要求され、訴訟トラブルとなった[1]

受賞

1980年赫い髪の女』、『神様のくれた赤ん坊』、『ワニ分署』で、第3回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞

1982年遠雷』で第3回ヨコハマ映画祭脚本賞を受賞

1983年 『遠雷』、『嗚呼!おんなたち 猥歌』で、第5回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞

1984年Wの悲劇』で、第58回キネマ旬報脚本賞、第39回毎日映画コンクール脚本賞を受賞

1986年 『Wの悲劇』、『ひとひらの雪』で、第9回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞

1988年 『待ち濡れた女』、『噛む女』、『リボルバー』で、キネマ旬報脚本賞を受賞

1998年身も心も』で新藤兼人賞・金賞を受賞

1999年皆月』で大阪映画祭脚本賞を受賞

2002年KT』『事故』で、第5回日本シナリオ作家協会菊島隆三賞を受賞

2003年ヴァイブレータ』で、第77回キネマ旬報脚本賞、第59回毎日映画コンクール脚本賞、第25回ヨコハマ映画祭脚本賞を受賞、第6回ドーヴィル国際映画賞脚本賞

2006年やわらかい生活』、『愛妻日記』、『』で、第9回日本シナリオ作家協会菊島隆三賞を受賞

2011年大鹿村騒動記』で、第85回キネマ旬報脚本賞、第35回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞

2014年共喰い』で第87回キネマ旬報脚本賞、第68回毎日映画コンクール脚本賞を受賞[2]

2016年この国の空』で第67回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞

主な作品

特記の無い物は脚本担当。
映画

新宿乱れ街 いくまで待って(
1977年


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