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中華人民共和国 湖北省 荊州市
荊州城荊州城
湖北省中の荊州市の位置湖北省中の荊州市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯30度20分 東経112度12分 / 北緯30.333度 東経112.200度 / 30.333; 112.200
簡体字荊州
繁体字荊州
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カタカナ転写ジンヂョウ
国家 中華人民共和国
省湖北
行政級別地級市
面積
総面積14,067 km²
人口
総人口(2004)647 万人
経済
電話番号0716
郵便番号434000
ナンバープレート鄂D
行政区画代碼421000
公式ウェブサイト: ⇒http://www.jingzhou.gov.cn/
荊州市(けいしゅう-し)は、中華人民共和国湖北省南部に位置する地級市。長江の中流に位置する港湾都市である。
かつて荊州と呼ばれた地方の一部で、当時の中心都市・江陵は現在荊州市内に「荊州古城」として残っている。歴史上、様々な武将たちの争奪の地となり、特に後漢末期から三国時代にかけては激しい戦いが繰り広げられた。国家歴史文化名城に指定されている。 市の面積は14,067平方km。西部は高く、東部は低い。蛇行する長江に沿って、市域一帯は細かな分流や水路、湖沼に覆われている。 荊州は長江中流域に位置し、武漢から西へと続く江漢平原の一部をなしている。市の中心地である沙市区は市域の東部、長江北岸にあり、古代から現在まで港湾として名高い。沙市と一体化している荊州区は荊州古城の所在地で、かつての江陵城のあった場所である。市の東は武漢市に、南東は咸寧市に、北は荊門市、仙桃市および潜江市に、西は長江の渓谷・三峡のある宜昌市に、南は湖南省岳陽市に、それぞれ接している。 現在の荊州市周辺は長江文明が栄えた地であった。6,000年前の大渓文化の遺跡も出土している。また春秋時代、戦国時代の楚の首都・郢はこの周辺を移動していた。古代の地域名である荊州はかつての九州のひとつで、前漢初期の十三州のひとつでもあり、現在の湖北省と湖南省(「荊南」)にまたがっていた。 荊州は長江中流の水運による交通と物流の拠点で戦略上の要地でもあり、「兵家必争の地」とされた。後漢末期の赤壁の戦いは荊州市域の東部の烏林で起こっている。三国時代には魏・呉・蜀(蜀漢)三国の境界の地となった。南北朝時代、南朝梁は後期に建康から江陵に首都を移し、その後の後梁は引き続き江陵を首都とした。 六朝時代、前秦の南下により襄陽から江陵(荊州古城)に荊州の中心が移され、以後清代まで荊州府の中心は江陵にあった。
地理
歴史荊州古城