草奈伎神社
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草奈伎神社

所在地三重県伊勢市常磐一丁目5番
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度29分41.4秒 東経136度41分41.9秒 / 北緯34.494833度 東経136.694972度 / 34.494833; 136.694972 (草奈伎神社)座標: 北緯34度29分41.4秒 東経136度41分41.9秒 / 北緯34.494833度 東経136.694972度 / 34.494833; 136.694972 (草奈伎神社)
主祭神御剣仗神
社格式内社(小)
豊受大神宮摂社
創建延暦23年(804年)以前
本殿の様式神明造
例祭神嘗祭10月19日
主な神事祈年祭月次祭ほか
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大間国生神社

所在地三重県伊勢市常磐一丁目5番
位置北緯34度29分42秒 東経136度41分48.2秒 / 北緯34.49500度 東経136.696722度 / 34.49500; 136.696722
主祭神大若子命・乙若子命
社格式内社(小)
豊受大神宮摂社
創建伝雄略天皇21年(477年
本殿の様式神明造
例祭神嘗祭大間巡回(10月19日)
主な神事祈年祭月次祭ほか
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草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)は、伊勢神宮豊受大神宮外宮)の摂社。外宮の摂社としては第1位である[1]。本記事では草奈伎神社と同じ社地にある外宮摂社の大間国生神社(おおまくなりじんじゃ)についても記述する。

草奈伎神社・大間国生神社ともに外宮の中でも格式の高い神社であり、20年に1度の社殿の造り替えが行われてきたほか、他の摂社以下の神社に比べ多くの祭祀が行われる[2]
概要

ここでは草奈伎神社・大間国生神社共通事項について記述する。

三重県伊勢市常磐一丁目1142番地[3]住居表示では常磐一丁目5番)、大間広と呼ばれる台地上に鎮座する[2]。一の鳥居から宮域に入り、向かって左側(西側)が草奈伎神社、右側(東側)が大間国生神社である[1]。宮域面積は1,744m2[4]。地元では氏神の祭礼当日に小俣神社へ参拝する風習がある[5]

賽銭箱は置かれていない。鎮座地は南側が伊勢市道に面するほかは三方を住宅地に囲まれている[4]
祭神

草奈伎神社の祭神は御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)[1]。外宮の祭祀を司ってきた度会氏の遠祖である大若子命(おおわかこのみこと[1]、おおわくごのみこと[2]、大幡主命)が垂仁朝越国の阿彦(あびこ)を平定する際に使った[1]剣のであるという[2]。大若子命は大間国生神社に祀られている[2]皇大神宮(内宮)方の学者側からは、大若子命を度会氏の遠祖に位置付けることが不遜であると非難されているが、櫻井勝之進は「度会の一族がかつて祖神と仰いだ神々であったということだけは尊重してよいと思われる」と述べている[2]

大間国生神社の祭神は先述の大若子命と乙若子命(おとわかこのみこと、おとわくごのみこと)の兄弟。両神とも京都市にある梅宮大社の祭神と同じであるとされる[6]。大若子命は鳥羽市沖の答志島・和具の古墳に、乙若子命は志摩市志摩町和具の古墳にも葬られていると伝承されている[7]
草奈伎神社

社名・草奈伎神社の「くさなぎ」の表記は『止由氣儀式帳』では「草奈支」、『神名秘書』では「草奈岐」となっており、近世には先述の2つに加え「草薙」も出現したが、『延喜式神名帳』にしたがって今日では「草奈伎」に統一されている[8]日本武尊伝説にちなんで命名されたという説がある[9]

社殿神明造板葺で、写真にあるように玉垣に囲まれている[10]承元4年(1210年)にそれまで外宮摂社の第1位であった月夜見宮が別宮に昇格して以降、草奈伎神社が摂社の第1位となった[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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