茨田屯倉
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茨田屯倉(まむた の みやけ/まんた の みやけ)とは、河内国に設置された大和朝廷の直轄地(屯倉)。
目次

1 概要

1.1 設立の過程

1.2 その後の経緯


2 脚注

3 参考文献

4 関連項目

概要
設立の過程

日本書紀』巻第十一、仁徳天皇13年の、秋九月(ながつき)に、始めて茨田屯倉(まむたのみやけ)を立つ。因りて舂米部(つきしねべ)を定む

とあるのが初出であり[1]、この屯倉があった場所として、『和名類聚抄』の交野郡(かたのぐん)三宅郷の地(現在の大阪府交野市)が比定されている。

『書紀』巻第十一によると、仁徳天皇11年4月、天皇は群臣に詔して、今朕(われ)、是の国を視れば、郊(の)も沢(さは)も曠(ひろ)く遠くして、田圃(たはたけ)少(すくな)く乏(とも)し。且(また)河の水(みづ)横(よこさま)に逝(なが)れて、流末(かわじり)?(と)からず。聊(いささか)に霖雨(ながあめ)に逢へば、海潮(うしほ)逆上りて、巷里(むらさと)船に乗り、道路(みちおほち)亦(また)泥(うひぢ)になりぬ。故(かれ)、群臣(まへつきみたち)、共に視て、横(よこしま)なる源(うなかみ)を決(さく)りて海に通(かよは)せて、逆流(さかきこみ)を塞(ふさ)ぎて田宅(なりどころ)を全(またく)くせよ」

(いまこの国を眺めると、土地は広いが田圃は少ない。また河の水は氾濫し、長雨にあうと潮流は陸に上がり、村人は船に頼り、道路は泥に埋まる。群臣はこれをよく見て、溢れた水は海に通じさせ、逆流は防いで田や家を浸さないようにせよ)訳:宇治谷孟

と言った[2]

それから半年後、冬十月に、宮(難波高津宮)の北の郊原(の)を掘りて、南の水(かは)を引きて、西の海に入る。因りて其の水を号(なづ)けて堀江と曰ふ又将に北の河の?(こみ=塵芥)を防(ほそ)かむとして茨田堤を築(つ)く

という土木工事が完成した[3]。これらの事業により耕地化が進み、2年後には茨田屯倉が設置された。以降も和珥池(わにのいけ)・横野堤(よこののつつみ)など他の多くの土木工事が行われていった。

これらの出来事は、『古事記』下巻に又秦人(はたひと)をえたちて茨田堤及(また)茨田三宅を作り、又丸邇池(わにのいけ)・依網池(よさみのいけ)を作り、難波の堀江を掘りて海に通し、又小椅江(をばしのえ)を掘り、又墨江の津を定めたまひき[4]

と簡潔に記されている。『書紀』には、是歳(ことし)、新羅人(しらきひと)朝貢(みつきたてまつ)る。則ち是の役(えたち)に労(つか)ふ[5]

とも記述されている。

これらは大和政権による河内平野北部の開発の過程を示しており、また新羅からの渡来氏族である秦氏や茨田氏の技術によるものであることが、現在の寝屋川市の「秦町」・「川勝町」・「太秦町」などの地名によっても伝えられている。
その後の経緯

茨田屯倉は『書紀』巻第十八、宣化天皇の箇所に再度登場する。天皇は筑紫国を要地として、那津(なのつ、博多)に官家を建設するために尾張国伊勢国伊賀国など各地の屯倉の穀を運ばせたのだが、阿蘇仍君(あそのきみ)を遣(つかは)、して、加(また)、河内の国の茨田郡の屯倉の穀(もみ)を運ぶべし

と第一番目にあげられている[6]

茨田屯倉の灌漑用に、茨田池が作られたことが、のちの『書紀』巻第二十四の皇極天皇2年の記事に現れている[7]
脚注

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^ 『日本書紀』仁徳天皇13年9月条
^ 『日本書紀』仁徳天皇11年4月17日条
^ 『日本書紀』仁徳天皇11年10月条
^ 『古事記』仁徳天皇条
^ 『日本書紀』仁徳天皇11年是歳条
^ 『日本書紀』宣化天皇元年5月1日条
^ 『日本書紀』皇極天皇2年7月条、9月条、10月条

参考文献

『日本書紀』(二)- (四)、
岩波文庫、1994年 - 1995年

『日本書紀』全現代語訳(上)・(下)、講談社学術文庫宇治谷孟:訳、1988年

『岩波日本史辞典』p1082、監修:永原慶二岩波書店、1999年

『角川第二版日本史辞典』p905、高柳光寿竹内理三:編、角川書店、1966年

『日本の歴史1 神話から歴史へ』、井上光貞:著、中央公論社、1965年

『毎日グラフ別冊 古代史を歩く7 河内』、毎日新聞社、1987年より「古代河内の中の朝鮮文化」文:朴鐘鳴・「河内平野のおいたち」文:景守豊・景守紀子

関連項目

河内湖

茨田郡

茨田衫子

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