茨城県立取手第二高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度53分29.4秒 東経140度4分6.7秒 / 北緯35.891500度 東経140.068528度 / 35.891500; 140.068528
茨城県立取手第二高等学校(いばらきけんりつ とりでだいにこうとうがっこう)は、茨城県取手市東二丁目にある県立高等学校。 実業系女学校を経て、戦後すぐ共学化された。卒業後の進路は就職が半数近くを占め、次いで大学(四年制・短期の両方を含む)と専門学校進学が20%ずつを占める。主な進学先は県内・近郊の私立大学、短期大学、専門学校などである。 取手市内を中心におおむね北は土浦市、南は我孫子市、東は稲敷市、西は常総市の範囲に広がる。常磐線沿線を中心に通学圏が広いが、当校のすぐ南が他県(千葉県)になることから南には狭い。 かつては越県入学が可能であったため、主に千葉県の常磐線沿線地域からの入学者もいた。 作詞は東京の作詞家西條八十、作曲は福島市の作曲家古関裕而の作品[1]。 野球部は甲子園に春夏合わせて6回出場し、前述のとおり1984年夏の大会で優勝した経験を持つ。これは茨城県勢初の全国制覇であるが、この年の国体優勝をもって木内幸男監督が退任し(常総学院野球部監督に就任)、それ以降は甲子園に出場することはなくなった。
概要
募集定員 普通科120名、家政科40名
進学地域
沿革
1922年 - 茨城県北相馬郡北総実修学校設立 校内に女子部を置く
1925年 - 茨城県取手実科高等女学校創立
1940年 - 県移管認可 茨城県立高等女学校となる
1948年 - 茨城県立取手女子高等学校に改組
1949年 - 男女共学を実施、茨城県立取手第二高等学校に改称
1984年
第66回全国高等学校野球選手権大会優勝
第39回国民体育大会で硬式野球部が優勝
校歌
部活動
著名な出身者
松沼博久 - 元・プロ野球選手(投手)(西武)
松沼雅之 - 元・プロ野球選手(投手)(西武) - 松沼博久の弟。
大野久 - 元・プロ野球選手(外野手)(阪神 → ダイエー → 中日)。東洋大学附属牛久高等学校の教員・野球部監督、オーストラリアでのコーチを経て、侍ジャパンU15コーチ。
吉田剛 - 元・プロ野球選手(遊撃手)(近鉄 → 阪神 → OBC野球解説者、現在は実業家)※
石田文樹 - 元・プロ野球選手(投手)(横浜)※
折原啓子 - 女優
沼田和利 - 牛久市長
※は第66回全国高等学校野球選手権大会優勝メンバー
脚注[脚注の使い方]^ 古関裕而記念館 古関裕而が校歌を作曲した関東地方の学校
関連項目
Size:43 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef