茅葺き
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白川郷・五箇山の合掌造り集落

茅葺(かやぶき、萱葺)とは、ススキチガヤヨシ(アシ)などの総称)を材料(屋根材)にして家屋屋根を葺くこと。またその屋根[1]。茅葺き屋根、茅葺屋根ともいう。ただし、茅葺き屋根の一部(下地等)には稲藁麦藁を屋根材に含むことが多い[1][2]

屋根材により茅葺(かやぶき)は藁葺(わらぶき)[3]や草葺(くさぶき)と区別する場合がある。

英国ドイツ北欧諸国など、世界で広く見られ、日本独特なものではない。例えば、デンマークで2017年に完成した観光施設「ワッデン海センター」の屋根はヨシ葺きである[2]

しかし日本固有の木造建造物を受け継ぐための伝統技術の重要性から「伝統建築工匠の技」の一つとして茅葺は2020年11月17日にユネスコ無形文化遺産に登録された[4]。屋根以外に、オブジェを茅葺にすることもある[2]
概要登呂遺跡に復元された竪穴状平地建物ドイツの茅葺き民家リトアニアの茅葺き穀倉(ジェマイティヤ地方)エストニアの茅葺き屋根(サーレマー島のミクリ農場博物館に当時のまま保存された農家の納屋)入母屋造りの茅葺屋根(箱木家住宅/箱木千年家

「茅」とは、ススキヨシ(アシ)など古来有用とされてきた草本の総称である[1]。茅葺は世界各地で最も原初的な屋根とされ、日本でも、定住化が始まった縄文時代弥生時代から平安時代にかけての遺跡で検出される竪穴建物平地建物高床建物竪穴状平地建物登呂遺跡など)などの屋根は、茅葺きであったと推定されている。通常、これらの時代の復元建物は茅葺で復元されているが、物的証拠は未だ完全になっているわけではない[1]。ただ、銅鐸にみられる家屋の表現や民俗例を考えると茅葺きであった蓋然性が極めて高いとされている[1]。ただし岩手県御所野遺跡例などのように、土屋根の竪穴建物が確認された事例も存在する[5]

日本で現存最古の茅葺屋根民家は兵庫県神戸市にある箱木家住宅(国の重要文化財)で、室町時代に建てられた[2]

人の茅の利用の歴史は古く、茅が水分に強いことは古くから知られていたと考えられている[1]。屋根材では茅に比べると藁は油分が少なく耐水性に劣るとされている[1]。しかし、茅よりも藁のほうが入手しやすく、民俗例では茅葺き屋根であっても最下層の下地には藁を用いていることが多い[1]

材料とする植物は採集したての水分が多い状態で屋根葺きに用いると腐朽しやすいため、通常は冬になって枯れてから集める。春まで充分乾燥させてから使用するが、耐久性を高めるために使用前に燻すなどする場合もある。建物の内部で囲炉裏を日常的に使用することで、煙で屋根が「燻製」にされることで耐久性が高められるが、神社建築の場合は建物内部で火はほとんど使用されないため、民家に比べると寿命が短くなる。さらに近年では農村や山間部でも灯油ガスなど化石燃料の使用が一般化し、を浴びることが無くなった茅葺屋根は腐朽の速度が一層早まることになった。現在、日本各地に移築、復元された古民家の野外博物館では囲炉裏や竈で定期的にを焚いて煙を発生させ、屋根材の保存性を高めている。

基本的に雨漏りを防止するために急勾配の屋根にするが、使用する植物の茎などが太いと隙間が大きくなり雨漏りがしやすいため、より急勾配が要求される。通気性・断熱性に優れる、雨音が小さいなどの長所を持つが、寿命が短い(ススキで葺いた場合は使い方によるが、15年?30年ほど[6])、近隣で火災が生じた場合に容易に類焼してしまう、台風などの強風で簡単に吹き飛ばされるといった短所を併せ持つ。

日本では、集落が発展して建物が密集する都市が形成されるにつれて茅葺は火災に弱い短所が嫌われ、都市部や街道沿いの町屋などではの普及などにより早期に姿を消した。江戸の市街地などでは茅葺が禁じられていた区域もあった(一度延焼すると容易に大火となるため)。また、大分県の例では1926年(大正15年)に施行された市街地建築物施行法の細則で、市街地の藁葺屋根の葺き替えを事実上できなくする[7]ことで瓦屋根などへの転換が進んだ。一方、農村部では材料のススキ、チガヤ、稲藁などの入手が容易であり、農閑期に共同作業で材料の入手と屋根の補修を行なうことができたため、20世紀中頃まで日本各地の山間部の農村に茅葺が数多く残っていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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