茅島成美
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かやしま なるみ
茅島 成美
本名川上 静江(かわかみ しずえ)
別名義春海 洋子(はるみ ようこ)
生年月日 (1942-09-14)
1942年9月14日(81歳)
出生地日本東京府
血液型A
職業女優
ジャンル映画テレビドラマ
活動期間1950年代 -
配偶者中尾彬1970年 - 1975年
一般男性(1990年 - )
主な作品
テレビドラマ
3年B組金八先生
大好き!五つ子』映画
八月の狂詩曲
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茅島 成美(かやしま なるみ、1942年〈昭和17年〉9月14日[1][2] - )は、日本女優。本名、川上 静江。旧姓、茅島 静江[1][3]

東京府(現・東京都)出身[1][3]Grue所属。滝野川女子学園高等学校中退[1][3]
来歴・人物

茅島静江名義で劇団こまどりに所属し、子役として活動[2]

1959年東映ニューフェイス6期生に合格。春海 洋子の芸名で東映京都と契約する(同期は千葉真一亀石征一郎など)[1][3]

東映を1962年に退社し、茅島 成美に改名[1]。改名後は大阪制作のテレビドラマに出演。その後、東京へ戻り、『あいつと私』や『五番町夕霧楼』などに出演[1][3]

1979年より『3年B組金八先生』に理科教師・国井美代子役で出演(第4シリーズでは主幹教諭、スペシャル9で教頭に昇進したが、スペシャル11を最後に定年退職という設定)。ファイナルにも定年後の設定のもと、坂本乙女の結婚式にかつての桜中学教諭らと出演した。なお、初期からシリーズ32年間のうちの大半に出演しており、代表作の1つとなった。

1970年中尾彬と結婚、1児をもうけるも1975年に離婚[1]1990年、会社員と再婚。現在は自宅の隣にアパートを建てて大家でもあると、ゲスト出演時の『爆報! THE フライデー』内でも紹介された。

両親が近畿出身者である影響から、京都弁大阪弁を特技としている。
所属事務所経歴

オフィス川上
青年座映画放送(2006年3月1日 - [4])→イイジマルーム(2011年?2015年まで) → Grue(2016年?)

出演作品
映画

「茅島 静江」名義

銀座二十四帖(1955年、日活) - みさちゃん
「春海洋子」名義

白馬童子 南蛮寺の決斗(1960年、東映) - 夕香里

白馬童子 南蛮寺の決斗 完結篇(1960年、東映) - 夕香里

ひばりの森の石松(1960年、東映) - お弓

ひばり捕物帖 折鶴駕篭(1960年、東映) - お糸

人形佐七捕物帖 血染の肌着(1960年、東映) - お常

人形佐七捕物帖 ふり袖屋敷(1960年、東映) - お光

海賊八幡船(1960年、東映) - お春

大江戸喧嘩まつり(1961年、東映) - おきん

花かご道中(1961年、東映) - お新

八州血煙り笠(1961年、東映) - 〆香

柳生武芸帳 (1961年、東映) - 楓

花笠ふたり若衆 (1961年、東映) - お浜

ちやりんこ街道(1961年、東映) - お峰

橋蔵の若様やくざ(1961年、東映) - おせつ

幽霊五十三次(1961年、東映) - お澄

新吾二十番勝負 第二部(1961年、東映) - 蝶

若君と次男坊(1961年、東映) - お駒

美男の顔役(1962年、東映) - お峰

「茅島成美」名義

君に幸福を センチメンタル・ボーイ
(1967年) - 村越仙子 役

けんか空手 極真拳(1975年) - 仁科幸恵 役

俺ら東京さ行ぐだ(1985年) - 福士絹代 役

卒業プルーフ(1987年) - 竹下副部長 役

八月の狂詩曲(1991年) - 町子

白鳥麗子でございます!(1995年) - 秋本芳江 役


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