茅ヶ崎館
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茅ヶ崎館
追加情報
所有者有限会社茅ヶ崎館
ウェブサイトhttps://chigasakikan.co.jp/

茅ヶ崎館
ホテル概要
所有者茅ヶ崎館
レストラン数1軒
部屋数4室
開業1899年6月24日
所在地神奈川県茅ヶ崎市中海岸3-8-5
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度19分13.93秒 東経139度24分4.22秒 / 北緯35.3205361度 東経139.4011722度 / 35.3205361; 139.4011722座標: 北緯35度19分13.93秒 東経139度24分4.22秒 / 北緯35.3205361度 東経139.4011722度 / 35.3205361; 139.4011722
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茅ヶ崎館(ちがさきかん)は、神奈川県茅ヶ崎市にある日本旅館
概要[ソースを編集]

創業は1899年明治32年)[1]。茅ヶ崎の別荘地・保養地としての歩みを具体的に示す存在であり、湘南にかつては多く存在した海浜旅館としての様相を良く残す。小津安二郎監督、新藤兼人監督ら松竹の黄金期を支えた監督や脚本家の定宿としても知られ、現在も映画人の利用が多い。旅館としての宿泊・予約制の飲食サービスほか、映画上映会やコンサート、かるた会などのイベントも行っている[2]
歴史[ソースを編集]
創業から関東大震災まで[ソースを編集]

1899年6月24日:愛知県稲沢出身の森信次郎によって創業[3]。三菱汽船、後に日本郵船の御用船機関長であった森信次郎は、船から茅ヶ崎の海浜を見初め、海水浴旅館(茅ヶ崎館)を開業。

1902年:欧州巡業から帰国した川上音二郎川上貞奴夫婦が日本初の洋劇、ウィリアム・シェイクスピア作「オセロー」の稽古を行う[4]。江見水蔭がその様子を『霙』という小説にし、雑誌『太陽』で明治36年12月に発表された[5]

二代目信行は、1920年代に茅ヶ崎で最初に自動車に乗ったモダンボーイとして知られる[6]。また、同館で保管されている木製のサーフボードでサーフィンを楽しんでいた。

大正12年9月1日の関東大震災でほとんどの建物が壊れる。明治時代からの唐傘天井風呂のみ現存している。大正14年再建し、現在の敷地となる[6]

震災後から現代まで[ソースを編集]

1914年:横浜貿易新報社が「県下避暑十二勝新撰」を発表した際、茅ヶ崎海岸が10位に入った。その祝賀イベントが海岸で行われた時、茅ヶ崎館が花火の打ち上げ費用を寄付した[7][8]

1937年:小津安二郎が初めて宿泊する[9]小津監督は滞在中、部屋を訪れた来客に自ら酒の肴を料理してもてなしていた。なかでも煮詰まったすき焼きにカレー粉を加えた「カレーすき焼き」は最上級のサービスであった。今も二番の部屋の天井は小津が部屋で煮炊きをしていた頃の煤をそのまま伝えている[10][11]。ちなみに「カレーすき焼き」は現在も茅ヶ崎館の名物料理として提供されている[12][13]

1941年:夏から小津が茅ヶ崎館で『父ありき』の仕事を本格的に開始。

1996年:石坂昌三氏が『小津安二郎と茅ヶ崎館』[14]を著す。

2000年前後には、森崎東監督が仕事場として「二番」を利用している。

2003年の小津安二郎生誕100年のイベント時には茅ヶ崎館の見学に2日間で2000人、別会場で行った上映会には2800人が訪れた[15]

井筒和幸監督、是枝裕和監督、映像ディレクター正岡裕之氏らから「この場所は本が書ける」と評価されている。

庭園や広間で、テミヤン ・ケオラビーマー・南佳孝 ・大城美佐子・吉川久子・マリエリカがコンサートを行った。

2005年6月に 平塚のフレンチレストラン、メゾンド・アッシュ×エム(現H×M)とのコラボレーションで国産ワイン決起集会ディナーを行った。同店オーナーの相山洋明氏は湘南地区でレストラン経営、パーティープロデュース、ケータリング・デリバリー事業などを行っている。

現在の当主である五代目の森浩章氏は茅ヶ崎映画祭 実行委員長を歴任。湘南邸園文化祭連絡協議会の副会長として地元文化の継承にも努めている[16]

2006年:映画『ハチミツとクローバー』のロケ地として使用される。以後、国内外の映画ロケ地として様々な作品に登場。(「#ロケ地としての利用」の項目を参照)

2007年:是枝裕和監督、西川美和監督が脚本の執筆をはじめる[17]

2009年:明治時代の数寄屋風デザインの浴室棟、大正時代の四十八畳の大広間を持つ広間棟、高床式に建築された中二階棟・長屋棟が国の登録有形文化財に、茅ヶ崎市内で1番目の登録[18][19]

西川美和監督が2014年発行の月刊ジェイ・ノベル7月号で茅ヶ崎館での執筆についてエッセイを寄せている。同エッセイは『映画にまつわるXについて 2』に収録された[20]

2011年8月、東日本大震災の余波で夏のイベントの自粛が続く中、夏祭りを楽しみたい子供たちのために、「千波屋納涼会」を実施。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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