范?
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本来の表記は「范?」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

范?(はん ほう、1272年 - 1330年)元代中国の詩人。字は亨父、または徳機という。楊載・掲?斯・虞集とともに元詩の四大家ともいわれる。
目次

1 略伝

2 評価・逸話

3 著作

4 参考文献

5 脚注

略伝

南宋度宗の時に清江(現在の江西省樟樹市)に生まれ、幼くして孤児となり貧窮のうちに育つ。早くから目に映るものを読み、作文の師として顔延之謝霊運につく。大徳11年(1307年)に大都に赴き、中丞・董士?の家庭教師となり、左衛教授に推薦された。海南海北道廉訪司照磨・翰林応奉・福建?海道知事を歴官し、翰林院編修まで至って後に帰郷する。天暦2年(1329年)に母が病没し、その翌年になって後を追うようにして亡くなる。享年58。「文白先生」とも呼ばれ、その門人として危素などがいる。
評価・逸話

詩に巧みであり、同時代の虞集は范徳機の詩を「如唐臨晋帖」と称えている。明代初期の宋濂によって元代の大家としてあげられ、沈徳潜『説詩?語』で評価は定まった。日本では室町時代に五山の詩僧に読まれはじめ、江戸時代後期の儒者・長野豊山の随筆『松陰快談』に元代文人の一人として紹介されている。

王士禎『香祖筆記』と呉師道『礼部集』によると、范徳機が危素と山中を夜更けに散策していた時に「雨は止む 脩竹の間 流螢 夜深くして至る」という二句を得て、たいそう喜ぶが「これでは文句が幽でありすぎる。まるで幽霊が作った詩のようだ。これは何か他の語を配して少し色をつけねばいけない」と言い、句を足して完成させたという。これが「蒼山感秋」という詩である[1]
著作

『詩学禁臠』

『木天禁語』

参考文献

吉川幸次郎『元明詩概説』(2006年、岩波文庫)

?懿行『模糊集』(1944年、生活社)

脚注^ 松枝茂夫・訳『模糊集』生活社、1944年、P.156-157。

中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。元詩紀事/卷13


更新日時:2017年8月18日(金)03:30
取得日時:2019/06/13 22:23


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