景明帝 苻健
前秦
初代皇帝
王朝前秦
在位期間350年 - 355年
姓・諱苻健
字建業
諡号明皇帝[1]
景明皇帝[2]
廟号世宗→高祖
生年建武元年(317年)
没年皇始5年6月15日
(355年7月10日)
父苻洪(第3子)[3]
年号皇始:351年 - 355年
苻 健(ふ けん)は、五胡十六国時代の前秦の初代皇帝。 350年3月に父の苻洪が、軍師である麻秋に毒殺されると、苻健は麻秋を誅殺して、即位した。即位後は甥の苻堅を龍驤将軍とした。 また三秦王の称号を廃して漢族の支持を得るために東晋に帰属する態度を示し西進して、8月に入関して当時長安にいた関中の豪族杜洪を破り、351年1月に国号を大秦と定めて長安で天王・大単于に即位し、皇始と建元した[3]。
略歴
晩年は病身で政務が執れなくなり、亡き太子の弟である三男の苻生を立太子し、朝政に当たらせた。この状況下で、甥の平昌王苻菁が自立を画策し兵を率いて東宮に侵入して、苻生を弑することを試みるが失敗し、逆に苻菁は殺害されてしまった。
355年6月、苻健が病没した。享年は39。その後、太子の苻生が即位して継承した[3]。
脚注
注釈
引用元^ 『晋書』「巻一百一十二 載記第十二」。
^ 『十六国春秋』「巻四 前秦録」。
^ a b c d e f g 三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P90
参考文献
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』(東方書店、2002年2月)
苻健351-355 / 苻生355-357 / 苻堅357-385 / 苻丕385-386 / 苻登386-394 / 苻崇394