この項目「イギリス統治下のビルマ」は途中まで翻訳されたものです。(原文:en:British rule in Burma
)←
←
← 1824年 - 1942年
1945年 - 1948年 →
→
公用語英語(公用)、ビルマ語
宗教仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教
首都ヤンゴン
国王
1862年 - 1901年ヴィクトリア
1901年 - 1910年エドワード7世
1910年 - 1936年ジョージ5世
1936年 - 1936年エドワード8世
1936年 - 1947年ジョージ6世
知事
1923年 - 1927年ハーコート・バトラー(英語版)(初代)
1946年 - 1948年ハーコート・ランス(英語版)(最終)
変遷
第一次英緬戦争1824年3月5日
英緬戦争1824年-1826年、1852年、1885年
植民地抵抗運動1918年-1942年
英領インドから分離1937年
日本による統治、タイによる統治(英語版)1942年-1945年
イギリスより独立1948年1月4日
通貨ビルマ・ルピー(英語版)、インド・ルピー、スターリング・ポンド
イギリス統治下のビルマ(イギリスとうちかのビルマ)は、英緬戦争を発端に1824年から1937年までイギリス領インド帝国の一州として続いた。その後分離した植民地を経て、最終的には独立国となった。 第一次英緬戦争
目次
1 歴史
1.1 イギリス統治下のビルマ
1.2 日本統治下のビルマ
1.3 独立
1.4 再度のイギリスによる統治
1.5 再度の独立
2 脚注
3 関連項目
4 参考資料
歴史
イギリス統治下のビルマ
1897年に、イギリス領インド帝国の一州としてビルマ州(the province of Burma)が創設され、他の州と同様、副総督により統治されることになった。1935年の新インド統治法(英語版)の成立により、この状態は1937年に終わり、以降はビルマ統治法の下、イギリス本国のビルマ省(英語版)とインド・ビルマ大臣(Secretary of State for India and Burma)により、インドとは別個に支配されることになった。初代植民地政府首相にはバー・モウが就いたが、不信任決議でバー・モウを失脚させたウー・ソオが、1940年に植民地政府首相となった。しかしウー・ソオは、ビルマ独立を模索し、秘密裏に大日本帝国と接触していたことが発覚し、1942年に逮捕され、解任となる。
ビルマは時にスコットランドの植民地であったと揶揄されることがある。これは多くのスコットランド人がビルマの植民地支配に重要な役割を果たしたからである。例えばサー・ジェームス・ジョージ・スコット(英語版)やイラワディ・フロティラ社(英語版)を挙げることができる。 1941年に太平洋戦争が開戦すると、ビルマの戦いも始まり、大日本帝国軍がビルマに侵攻し全土を制圧した。 1943年、日本の支援を受けビルマ国(1943年 - 1945年)として独立。イギリスにより収監されていたバー・モウが、日本軍により解放され、最初で最後の首相となった。 攻勢となった連合国軍が日本軍を破り、ビルマを奪還。1945年、再びイギリス植民地となった。また、ビルマ国政府は日本に亡命した。 1948年、ビルマはイギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立をとげた。 [ヘルプ]
日本統治下のビルマ
独立
再度のイギリスによる統治
再度の独立
脚注
関連項目
en:List of colonial heads of Burma
レジナルド・ドーマン=スミス
参考資料
Desai, Walter Sadgun (1968). History of the British Residency in Burma. London: Gregg International. ISBN 0576031526.
Harvey, Godfrey (1992). British Rule in Burma 1824?1942. London: Ams Pr. ISBN 0404548342.
Imperial Gazetteer of India vol. IV (1908), The Indian Empire, Administrative, Published under the authority of His Majesty's Secretary of State for India in Council, Oxford at the Clarendon Press. Pp. xxx, 1 map, 552.
更新日時:2018年12月3日(月)08:15
取得日時:2019/01/27 23:16
Size:11 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef