王立海軍(おうりつかいぐん、英語: Royal Navy)は、イギリスの海軍。イギリス海軍、英国海軍などとも表記される。
概要航海中に掲揚される英国海軍軍艦旗
王国の軍隊となったのはイギリス軍の中で最も古く、19世紀の初めから20世紀中まで、世界でも屈指の規模を誇る海軍であった[1]。基本的に各国の軍では陸軍が序列の最上位になるが、それらと異なり、イギリス海軍は「先任軍(Senior Service)」とされており、形式的であるとはいえイギリス空軍とイギリス陸軍よりも上位の存在とされている。
1815年から1930年代後期まで「イギリス帝国」の世界的な影響力をもつ組織として確立させる過程において最も重要な役割を果たした。第二次世界大戦時には、海軍は約900隻の艦艇を保有した。冷戦の間、主に対潜戦艦隊に再編され、大部分はGIUKギャップで警戒任務に投入された一方で、スエズ動乱やフォークランド紛争で見せた、対外遠征能力を保持し続けている。しかし、21世紀に入って以降は、ソビエト連邦の崩壊により対潜戦の役割が相対的に低下している。
2020年現在、イギリス三軍中唯一核兵器を保有しており、航空母艦、ドック型揚陸艦、弾道ミサイル潜水艦、原子力潜水艦、ミサイル駆逐艦、フリゲート、対機雷艦艇、哨戒艦、補助艦艇などバランスのとれた艦隊を構成している。 イギリス海軍には様々な役割がある。2023年1月現在、イギリス海軍は公式サイトにて、6つの主要な役割を挙げている。[2] イギリスは島国のため海軍の歴史は比較的古い。海軍は帆船を主として擁し、ガレー船の類は用いなかったようである。対外戦争で度々海戦を行っておりその多くにおいて勝利を収めた。19世紀から20世紀初めにかけては世界中のあらゆる場所でイギリスの艦船が行き交い世界一の海軍として並ぶもののない存在であった。 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけては、多数の戦艦を保有し、世界各地に拠点を保有していたが、20世紀後半には植民地の独立と経済不況に伴い、その規模を大きく減じた。 21世紀においては、軽空母を主力としており、戦略的な兵力投射能力を著しく減じていると指摘されている[3]。 最初の海軍は、9世紀にイングランドのアルフレッド大王によって設立され、プルックス・ガッターのワンツム海峡でヴァイキングを打ち負かしていたにもかかわらず衰退し始めたが、アゼルスタン王によって復旧された。そして、937年のブルナンブルフ海戦で勝利した時、イングランド海軍はおよそ400隻の船からなる戦力を手にした。 ノルマン侵入が迫っている時、ハロルド2世はウィリアム征服王を防ぐため、自国の艦隊が海峡を渡っていると信じたが、ハロルドの艦隊は嵐で損害を受けて港に入っていて、ノルマン人はヘイスティングズの戦いでハロルドを破った。 1155年にノルマンディー公が五港同盟を結んで得た船で海軍を作った。百年戦争の開戦時、イングランド海軍はフランス海軍に戦力で劣っていたが、1340年のスロイスの海戦においてフランス艦隊を一掃した。しかし、1372年と1419年のラ・ロシェル沖におけるフランスとカスティーリャとの海戦で、イングランド海軍はかなりの損害を負った。そして、イングランド本土の港がジャン・ド・ヴィエンヌ (Jean de Vienne) とフェルナンド・サンチェス・デ・トバル (Fernando Sanchez de Tovar) の指揮する艦隊の襲撃による被害を受けた。幸いなことにフランスは海軍力の戦略的重要性を理解していなかったため、制海権は間もなくイングランドの手中に戻った。 欠地王は500帆からなる艦隊を持ち、14世紀中頃のエドワード3世時代の海軍は約712隻の船を保有していた。 16世紀にヘンリー8世による最初の革命で、王立の海軍 (Navy Royal) として拡張が行われた。キャラックのグレート・ハリーとメアリー・ローズが建造され、1545年にソレント海戦でフランス海軍と戦った。1547年にヘンリー8世が死去するまで、海軍は58隻まで増強された。 ヨーロッパの超大国であり、16世紀において一流の海軍をもつスペイン帝国は、イギリス海軍に対する優位とイングランドに侵攻するため、1588年にオランダから無敵艦隊と上陸部隊を出撃させた。スペインの目論みはオランダの妨害とアルマダの海戦でドレーク・ノリス遠征艦隊に撃破されたため潰えた。また、エリザベス1世の統治中、大西洋を渡るスペインの船とスペインの港湾を襲撃し、莫大な富を王室へもたらした。 イギリス海軍は誕生から存続し続けたわけではなかったが、イングランドでは17世紀中頃、チャールズ1世によって国家の資金で常備艦隊が維持されるようになった。 しかし、このことにより国家の財政が圧迫されたことが清教徒革命の原因ともなり、イングランド内戦でチャールズ1世が敗北したため、イングランドはオリバー・クロムウェルが統治する共和国となり、海軍も「共和国海軍」となった。海軍は議会の指揮・監督を受けるようになり、これは王政復古後も定着している。 ところが、内戦で分裂した海軍には人材が残っておらず、やむなく議会派の大佐クラスの陸軍軍人を「ゼネラル・アット・シー 1660年、王制復古の宣言がされると、ロバート・ブレイクの死後ジェネラル・アット・シーの筆頭格だったジョージ・マンク将軍(後の初代アルベマール公)が王党派に転じ、後任のジェネラル・アット・シーであるエドワード・モンタギュー(後の初代サンドウィッチ伯爵)に対し、艦隊を率いて国王を亡命先のオランダへ迎えに行くよう指示した。
役割
紛争の防止 - グローバル及び地域レベルでの安定のため
海上の安全確保 - シーレーンでの国際貿易の安定確保のため
国際パートナーシップ - イギリスの同盟国(NATOなど)との関係強化のため
戦闘体制の確立 - 世界におけるイギリスの利益保護のため
経済の保護 - 重要な貿易ルートを保護し、イギリスと同盟国の海上における経済発展を保証するため
人道支援の提供 - 世界的な自然災害に迅速かつ効果的な対応をするため
歴史
サクソン海軍
チューダー王朝前
チューダー王朝イングランド艦隊に敗れる無敵艦隊。
ヘンリー8世
エリザベス1世
コモンウェルスネイビー
ロイヤル・ネイビーイングランド王位に就くためにロッテルダムを出港するチャールズ2世の艦隊。チャールズ2世
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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