苦竹
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この項目では、仙台市の町丁について説明しています。植物については「マダケ」をご覧ください。
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苦竹
町丁
苦竹駅
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度16分6.61秒 東経140度54分59.33秒 / 北緯38.2685028度 東経140.9164806度 / 38.2685028; 140.9164806
日本
都道府県 宮城県
市町村 仙台市
行政区宮城野区
人口(2023年4月1日現在)[1]
 ? 合計2,102人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号983-0036[2]
市外局番022[3]
ナンバープレート仙台

苦竹(にがたけ)は、宮城県仙台市宮城野区の町丁。郵便番号は983-0036[2]。人口は2,102人、世帯数は1,320世帯[1]。現行行政地名は苦竹一丁目から四丁目であり、1983年昭和58年)に全域で住居表示が実施された[4]
地理苦竹地区と平成地区と隔てる梅田川。

苦竹は宮城野区の中西部に位置する。北側では梅田川を挟んで新田と平成、東側で日の出町、西側で五輪、南側で卸町、南目館と接している。南目館はその大部分が陸上自衛隊仙台駐屯地となっている地区である。苦竹地区の西から北にかけて仙石線が走っており、苦竹駅が設置されている。また、国道45号が東西方向に通っている。苦竹の東隣の日の出町では国道45号と国道4号仙台バイパス)が立体交差しており、これが苦竹インターチェンジである[5]。国道45号には仙台市営バス宮城交通路線バスが通っている[6][7]

かつての歴史的な地名としての苦竹の範囲は、現在の行政区域より広い。江戸時代には苦竹村として存在し、東の田子村、北及び北西の小鶴村、西の小田原村、南の南目村と接していた[8]町村制に基づき、1889年(明治22年)に苦竹村は小田原村、南目村と合併して原町となり、苦竹の地名は大字となった。1928年(昭和3年)に原町が仙台市と合併した後、大字は原町苦竹へ変わった[9]。1932年(昭和7年)の東仙台土地区画整理事業や、1965年(昭和40年)以降に行われた住居表示の実施で、苦竹の中から新しい町丁が分離、誕生していった。現在の苦竹一丁目から三丁目、原町二丁目から六丁目、扇町一丁目、二丁目、五丁目、日の出町一丁目から三丁目、東仙台三丁目、松岡町、南目館、五輪二丁目、銀杏町、新田がおおよそかつての苦竹村の範囲に当たる[10][11]

天然記念物として「苦竹のイチョウ」があるが、これの所在地は苦竹の南西にある銀杏町である。苦竹から銀杏町への町名変更はこのイチョウに由来する。この天然記念物のイチョウは、樹齢1000年とも推定される巨木で、幹から気根が垂れ下がっていることから、乳銀杏とも呼ばれ、樹下に姥神が祀られている[12][13]
歴史
中世

苦竹に言及した古い史料として『奥州余目記録』がある。伊沢家景の弟の家業についてのくだりで「にかたけの郷を宮城本郷」と記されている。鎌倉幕府3第将軍源実朝の時代、鎌倉に敵対する弥次郎左衛門という強者がおり、それを討ち取った家業が、恩賞として「にかたけの郷」を与えられ、これを宮城本郷とし、また自らを宮城家業と名乗ったという。宮城郷宮城郡の中にあった10箇所の郷のうちの一つである。このことから、苦竹地区が古代の宮城郷の中心地だったのかもしれない[10][11][14]


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