苦しみの杭
[Wikipedia|▼Menu]

苦しみの杭(くるしみのくい)は、キリスト教系の新宗教であるエホバの証人の「新世界訳聖書」(ものみの塔聖書冊子協会発行)におけるギリシア語、スタウロス(σταυρ??)に対する英訳語torture stakeの日本語訳である。キリスト教における「十字架」の異訳であり、エホバの証人は訳語のみならず、十字架の形状についても否定している。しかしイエス・キリストの時代のスタウロスが十字架であったという考古学的証拠、初代教会教父の文献が多数発見されている。また1?3 世紀のキリスト教信者の墓地に十字架が刻まれていることは、考古学的発見からも明らかである[1]
エホバの証人の主張
苦しみの杭の概要「十字架」および「キリストの磔刑#杭殺刑」も参照

ジョン・デンハム・パーソンズの著わした「キリスト教に無関係の十字架」ーロンドン、1896年、23、24ページを参照。(エホバの証人のものみの塔 オンライン・ライブラリーで、検索できます。(JW.ORGからも参照)

ギリシア語スタウロスはイエスの処刑に関連して用いられている。「スタウロス(σταυρ??)は、主としてまっすぐな杭を指す。それに犯罪者は処刑のためにくぎづけにされた。この名詞も、杭に留めるという意味の動詞スタウロォーも元々は教会の用いている2本の梁材(はりざい)を十字に組み合わせた形とは区別されていた。後者の形は古代カルデアに起源を有し、同国およびエジプトを含む隣接した国々において、タンムズ神の象徴(その名の最初の文字で、神秘的意味の付されたタウの形)として用いられた。西暦3世紀の半ばまでに、諸教会はキリスト教の幾つかの教理から逸脱するか、それをこっけいなものにしてしまった。背教した教会制度の威信を高めるため、異教徒が、信仰による再生なしに教会に受け入れられた。それらのものには異教徒の印(しるし)や象徴を引き続き用いることが大幅に認められた。こうして、タウつまりTがキリストの十字架を表すために用いられるようになり、多くの場合と同様に横棒を下にずらした形が使われた」[2]

ルイスとショートの『ラテン語辞典』ではラテン語のクルクスの基本的意味に「犯罪者がつけられたり掛けられたりする、木、枠木、または木製の他の処刑具」を挙げている[3]

「公開処刑場として選ばれた所でいつでも立ち木が利用できるわけではなかった。それで、普通の梁材(はりざい)が地面に立てられた。犯罪常習者はその上に上方に手を伸ばした両手を、そして多くの場合は両足をも縛り付けられるか釘で打ち付けられた」[4]

「イエスは普通の死刑用杭の上で死なれた。これを支持するものとして次の点が、挙げられる。(イ)東洋においてこの種の処刑法が当時習慣的に行われていたこと、(ロ)間接的であるが、イエスが味わわれた苦しみに関する歴史的記述そのもの、および(ハ)教会教父たちの書き残した多くの文書」[5]

エホバの証人によれば、「イエスが2本の梁材を組み合わせた十字架にかけられて処刑された」と言われ始めたのは、イエスの死後300年もたってからのことであり、その見解はスタウロスの誤用および伝承に基づくものとされている[6]

新世界訳聖書以外の日本語の聖書翻訳はスタウロスを十字架と訳している[7][8]。日本語以外では、例えば英語訳で、完訳ユダヤ人聖書(Complete Jewish Bible)が「処刑用の杭(execution stake)」という表現を用いて訳している[9]
苦しみの杭の訳語の由来

訳語の由来はマタイによる福音書27章40節に基づく(新世界訳聖書)。

「こう言った。「神殿を壊して3日で建てる者よ、自分を救ってみろ!神の子なら、苦しみの杭から下りてこい!」。(マタイ27:40。)


「苦しみの杭」は、カルバリすなわち”ドクロの場所”におけるイエスの処刑に関連して用いられている。異教徒はキリスト以前の幾世紀もの間、十字架を宗教的象徴として用いていましたが、ここでギリシャ語スタウロスがそうした十字架を意味することを示す証拠は何もありません。

 古典ギリシャ語において、スタウロスという語は単に、まっすぐな杭、土台に用いるような棒中を意味していた。スタウロオーという動詞は、単に杭で柵を巡らすこと、砦柵(さいさく)を作ることを意味していました。

クリスチャン・ギリシャ語聖書の霊感を受けた筆者たちは共通(コイネー)ギリシャ語で文章を書きスタウロスという語を、古典ギリシャ語の意味と同じく、どんな角度のものにせよいかなる横木もついていない単純な杭という意味で用いました。これを否定する証拠を挙げることは出来ません。使徒ペテロとパウロも、イエスが釘付けにされた苦しみの刑具を指すのにクシュロンという語を用いていますが、このことは横木の取り付けられていないまっすぐな杭であったことをあらわしています。と言うのは、まさにそれがこの場合のクシュロンの意味するところだからです。(使徒5:30;10:39;13:29;ガラテア3:13;ペテロ第一2:24)七十人訳のエズラ6:11(エスドラス書第一6:31)にクシュロンという語がでており、そこでは律法違反者が掛けられる1本の梁として述べられています。使徒5:30;10:39の場合も同様です。

バーゼル大学の教授であったパウル・ビルヘウム・シュミットは自著、「イエスの歴史」[10]386-394ページの中で、ギリシャ語スタウロスについて詳細な研究を行った。同書の386ページには、「スタウロスは真っ直ぐに立っているすべての杭または樹幹を意味する」と記されている。

イエスがつけられた処刑具に関して、シュミットは同書[10]387-389ページで次のように書いた。「福音書の記述によると、イエス加えられた処罰として考えられるのは、むち打ちの他には、衣をはいで体を杭に掛ける、ローマの最も単純な形式の磔刑(たっけい)だけである。その処罰を一層忌まわしいものにするため、イエスは処刑場までその杭を運ぶか引きずって行かねばならなかった。……こうした単純な仕方で杭に掛ける方法がしばしば大量処刑で採用されていたことから、これ以外の方法は考えられない。この種の大量処刑の例は、バルスによる一度に2,000人の処刑[11]、クワドラツゥス[12]、行政長官フェリクス[13]、ティツス[14]による刑具に見られる」。

イエスが処刑された際に刑具として使用された十字架は、その語の現在持つ意味自身が示しているように、一般的には十字の形をしていたと信じられている。しかし一方で、その刑具は十字形ではなかったとする学説が存在していた。その学説において、スタウロスは、杭の形、Tの形、Xの形をしているなどと論じられた。
エホバの証人はスタウロスを杭とする学説を支持した。この神学上の判断には1896年に英国で発行された『キリスト教に無関係の十字架』と題する書物の影響が大きいと思われる。この書物は、キリスト教史初期にイエスのスタウロスを十字と仮定することが行われ、やがてそれが事実として普及するようになったと論じている。
1950年にはエホバの証人の翻訳者たちによって「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」が刊行された。翻訳者がエホバの証人である以上、スタウロスを「杭」と訳出することはふさわしいと思われた。しかし、これを単に「杭」と訳出したのではその神学的意味が薄くなると翻訳者たちは考えたようである。そこで「杭」ではなく「苦しみの杭」という訳語が選択された。これはイエス自身のスタウロスの用法に一致している(マタイ10:38, 16:24, マルコ 8:34, ルカ 9:23, 14:27)。
エホバの証人の主張する考古学的背景

イエスの時代のスタウロスが何であったかを知る考古学上の物証は極めて少ない。理由のひとつに、当時の風習により、スタウロスによる処刑を受けた者が正式に埋葬されることは少なかっただろうということを考えることができる。さらに、イエスがスタウロスによって処刑されたほぼ同じ時期に、ユダヤ人の間でスタウロスの刑が廃止されたことも考慮しなければならない。一度スタウロスの刑が廃れているので、イエスの時代より後の時代の資料をもってイエスのスタウロスを論じることは困難である。
神学的背景

現在、この種の学説に固執している宗教団体はエホバの証人のみである。
歴史的資料による「十字架」の考古学的証拠とキリスト教会の見解
エホバの証人の主張

エホバの証人の『参照資料付き新世界訳聖書』の付録では、カトリック教会の学者ユストゥス・リプシウス(1547-1606年)の著書『デー・クルケ・リブリー・トレース』[15]から、犯罪者をつけるための1本の杭はラテン語でクルクス・シンプレクス(crux sim'plex)と呼ばれており、「そうした拷問用の刑具の一つがユストゥス・リプシウスの著書で描かれている」と述べた上で杭につけられた人の絵の複写を掲載している。そして、イエスが刑中場に向かう時通った道が大変狭く、代わりに十字架を背負った人も、その道を十字架を背負って通る事は困難であること、又、1本の杭の上にイエスが手を重ねて止められていた事は後の記述でイエスが大声で叫び、息を引き取った事実と一致し、杭の上での時間の経過と共に心臓が圧迫され、それにより(心臓破裂)で、大きな声で叫ぶことになり、息を引き取った事に間違いがないとゆう、医学的事実も正確な見解を支持しています。エホバの証人も当時、十字架と考えていましたが「義なる者の漸進的啓発」により明確な事柄が明らかにされ(ダニエル12章3節4節)正しい理解を得ました。これは終わりの時の印であり今まで秘められたことが明らかにされる時であり、またより理解を深められるように神が助けられることを目的として予言されていました。そして何よりも重要な点として聖書全般に明らかにされている通り、真のキリスト教は、偶像や物品を用いて神を崇拝する事は、神への大いなる侮辱であり、イエスが固く禁じていたことである(ヨハネ4章24節出エジプト記20章4、5節)。愛を重んじる教えを大切に受け止めているクリスチャンが、愛する方の形を作りその死なれた時の状況を復元させ、それに口づけしたりするならば、それはとても異様な光景としか言えないのではないでしょうか、感情だけではなく理性的に神を愛するように教えられたイエス(マタイ6章9節マタイ22章37節38節)は弟子達に神の考えを正しく伝え、作られた物や偶像を通して崇拝行為を示すことを必ず嫌悪されたことでしょう。エホバの証人はこうしたことの証拠を真実に沿って伝えることのできる真のクリスチャンです。本当に聖書を学んでいる人は聖書に書かれている「偽のキリスト教」が「終わりの日」に世界中に広がる事についてよく理解しているはずです(マタイ24章24節25節)そして神の言葉を正しく広めず、神に栄光を帰さなかった点でも大いなる裁きを受けることになるのです。(ヨハネの啓示18章2節)

 、

組み合わせた十字架にかけられて処刑された」と言われ始めたのは、イエスの死300年もたってからのことであり、その見解はスタウロスの誤用および伝承に基づくものと主張する[6]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef