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出典検索?: "若野桂" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年5月)
若野 桂
誕生日 (1968-01-05) 1968年1月5日(56歳)
出生地岐阜県安八郡
芸術分野イラストレーター、グラフィックデザイナー、アートディレクター、映像作家
教育岐阜県立大垣東高等学校卒
ウェブサイト ⇒www.moshino.net
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若野 桂(もしの かつら、Katsura Moshino、1968年1月5日 - )は、日本の芸術家、イラストレーター、グラフィックデザイナー、アートディレクター、映像作家である。
若野桂制作室(OFFICE 1980)代表、元名古屋工業大学プロジェクト准教授。 米ナイキ、仏エヴィアン、日ソニーをはじめとする企業のCMや製品デザイン、90年代の伝説的ダンスミュージックアーティストとのコラボレーションなどを多数手がける国際的クリエーター。(出典:若野桂LINE BLOG
人物・経歴
1990年初頭、イギリスで発売されたオムニバス・アルバム「United Future Organization presents MULTI DIRECTION」のイラストレーションを手がけ、逆輸入的に日本で、マンディ満ちる、モンドグロッソ、DJ KRUSH、birdなど数々のアーティストのフライヤーやCDジャケットを手がける。
ファッションブランド、VIVA YOU(ビバ・ユー)の広告キャンペーンの女性向けなキャラクター展開。サントリーの飲料「CCレモン・モシノグッズ・キャンペーン」を手がける。
1998年、日本人で初のNIKEのバスケットボール広告の北米キャンペーンのイラストレーターに抜擢。「URBAN ATTACK」と題されたこのNIKEのキャンペーンは、北米とイタリアの街中が若野のビルボード広告で埋め尽くされ、スモーキーなピンク色は「モシノ・ピンク」と命名され、「Japanese twist(日本人のヒネリ)」と評された[誰?]。また、このNIKEキャンペーンでは、P-FUNKの総帥ジョージ・クリントンによってレコード制作が行われ、音楽とキックス(NIKEのバスケットシューズ)とバスケットボールとブラックカルチャー/ヒップホップカルチャーに根付いた内容のキャンペーンであった[要出典]。
1999年 - 2000年、NIKEバスケットボールのアジアおよび北米における「PLAYER'S DElIGHT」キャンペーンのアートワーク担当及び企画参加。実在するNBAのアスリートを若野がキャラクター化し、ビルボード広告や街中の広告、そして、若野キャラクターがアニメーションになってラップをするTVCMが展開された。日本版のTVCMは、日本のラッパーである、ZEEBRA、TWIGY、DEV LARGEを採用、3者によって限定レコードもレコーディングされ、高値プレミアものとなっている。また、TVCMはアメリカにおけるTVCM専用のポータルサイトでのチャートで、初登場14位という記録を得る。
オリジナル作品をビデオミキサーを使用して映像ミックスをするVJとしても活動、芝浦GOLDでのDJ小林径のバースデーパーティ、United Future Organization が主催していたマンスリーパーティ「JAZZIN'」、大型音楽フェスティバル「レインボー2000」でのオーディオ・アクティブのVJ、当時新宿歌舞伎町にあったリキッドルームで展開されていた数々のイベントのVJを担当していた若野と宇川直宏と、そして後に登場した生西康典は、VJムーブメントを形成したオリジネイターの一人である[要出典]。
また映像作家として、TBSテレビ「うたばん」のCMキューの映像制作、モード学園TVCM、オーディオ・アクティブのミュージック・クリップなどを監督制作などするなか、2001年にシカゴからリリースされた竹村ノブカズのシングル「sign」のために制作した映像が評価を受け、アメリカはじめ、イタリア、スペイン、プエルトリコ、イラン等のインディな映画祭に招待上映され、世界的に映像作家として脚光を浴びる[要出典]。
2003年、アメリカがイラク戦争を開始した3日後のニューヨークでのDJ KRUSHのライブにVJで「NO MORE WAR」と飛び入り参加。2004年、音楽フェスティバルMETAMORPHOSEのThe Orb(ジ・オーブ)のVJを担当し、後にThe Orbヨーロッパ・ツアーのオフィシャル映像を手がける。nobodyknows+の「ココロオドル」ミュージッククリップなど、映像作品は脚本やカメラ、アニメーション作成から監督、編集に至るまでの行程を全て一人で担当する。
2001年、東芝社の電子レンジMEKOOR、SAZABYのバッグ、SONY社のロボットAIBO(ラッテとマカロン、31Xシリーズ)など、プロダクト・デザイン(工業デザイン)も行う。雑誌『カーサ・ブルータス』が行った世界の著名キュレーター達を迎えて日本の優れたプロダクトを選出する企画で、aibo(ラッテ)が1位に選ばれた。グッドデザイン賞受賞、日経デザイン賞銅賞受賞。
1999年、NHKのテレビ番組「トップランナー」に出演。番組内でDJ KRUSHのDJをバックに、ライブ・ペインティングをメディアで披露。
2000年 - 2004年、キヤノン社の世界規模の公募キヤノン・デジタル・クリエーターズ・コンテストにて、グラフィック部門の審査員をイギリスのTOMATOと担当。その他、ビューティーン・ヘアカラー、エビアンのボトルパッケージ、広告、TVCM、映像、グッズ・デザイン等など、多才に多範囲にて活動中[要出典]。
元国立大学法人名古屋工業大学プロジェクト准教授。
著書
Moshino's works for Girl studio 若野桂グラフィックワークス (河出書房)ISBN 4309902804