若田光一
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若田 光一

宇宙飛行士
国籍日本
生誕 (1963-08-01) 1963年8月1日(60歳)
日本埼玉県大宮市
(現さいたま市北区
他の職業技術者
宇宙滞在期間504日18時間35分
選抜試験1992 NASA Group
ミッションSTS-72, STS-92, STS-119, STS-127, ソユーズTMA-11M, Crew-5
第18次/19次/20次ISS長期滞在, 第38次/39次ISS長期滞在, 第68次ISS長期滞在
記章

若田 光一(わかた こういち、1963年8月1日 - )は、日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属していた宇宙飛行士。博士(工学)。埼玉県大宮市(現:さいたま市北区)出身。菊池寛賞受賞者(2014年)[1]。2018年4月より、宇宙航空研究開発機構(JAXA)理事を務めていた。現在は宇宙航空研究開発機構(JAXA)特別参与。2024年3月末でJAXAを退職。同年4月8日、アクシオム・スペース宇宙飛行士兼アジア太平洋地域担当最高技術責任者に就任[2]

これまでにアメリカ航空宇宙局スペースシャトルや、ロシア連邦宇宙局ソユーズスペースXドラゴン2に搭乗して、5度宇宙飛行ミッションを行った経験がある。
来歴2014年の第39次ISS長期滞在ミッションのクルー一同。若田はISS司令官を務めた。

埼玉県大宮市(現さいたま市北区)出身。宮原幼稚園卒業、大宮市立宮原小学校入学、大宮市立別所小学校(現・さいたま市立大宮別所小学校)卒業[3][4][5][6]大宮市立宮原中学校卒業[7]埼玉県立浦和高等学校卒業[8][9][10][11]九州大学工学部卒業[12]。大学在学時には鳥人間コンテストに、チームの一員で出場[13]

1989年3月九州大学大学院修了日本航空に入社する。1992年4月NASDA(現・JAXA)によりミッションスペシャリスト候補に選出された。

スペースシャトル就役当初、NASAはスペースシャトル自体の運用を行うミッションスペシャリスト(MS)資格を外国人に認めておらず、日本人宇宙飛行士は日本の搭載機材のみを操作するペイロードスペシャリスト(PS)に限定されていた。しかし、宇宙開発事業団(NASDA)と宇宙科学研究所(ISAS)が共同開発した宇宙実験・観測フリーフライヤー(SFU)をスペースシャトルで回収することになり、NASAも外国人にミッションスペシャリストの門戸を開放したため、日本人ミッションスペシャリストを養成して自ら回収操作を行うことが計画された。

1996年1月 スペースシャトル・エンデバー号による「STS-72」ミッションに日本人初のMSとして参加。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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