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やノートページでの議論にご協力ください。わかさ けいいち若狭 敬一
プロフィール
愛称おしゃべりメガネ
出身地 日本
岡山県倉敷市
生年月日 (1975-09-01) 1975年9月1日(48歳)
身長176cm
血液型O型
最終学歴名古屋大学経済学部
勤務局CBCテレビ
活動期間1998年 -
ジャンルスポーツ・情報系
配偶者加藤由香
公式サイトCBCアナウンサー・若狭敬一
出演番組・活動
出演中チャント!
若狭敬一のスポ音
THE TIME,(東海地方からの中継)
など
出演経歴ユーガッタ!CBC(金曜現場主義)
晴れドキ
ツー快!お昼ドキッ
サンデードラゴンズ
CBCドラゴンズナイター
など
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
若狭 敬一(わかさ けいいち、1975年9月1日 - )は、CBCテレビ(CBC)アナウンサー。
岡山県倉敷市玉島[1]生まれ。 岡山県立玉島高等学校を経て名古屋大学経済学部卒業。大学では、金井雄一が主宰するゼミに所属していた[2]。 大学卒業後の1998年に、アナウンサーとして地元局の中部日本放送(現在のCBCテレビ)へ入社。同期のアナウンサーに大橋麻美子[注 1]がいた。入社後は、野球を中心にスポーツ中継の実況へ携わっているほか、草野球を「ライフワーク」と公言するほどのスポーツ好きでもある。 2022年12月3日に、先輩アナウンサーの加藤由香と結婚していたことや結婚後に1児を授かったことを『北野誠のズバリ サタデー』(CBCラジオ)で加藤が公表。加藤は産前産後休暇からこの日に復帰したばかりであった[3]が、翌2023年には、若狭が1月5日から3月2日まで育児休業を取得している[4]。 身長は176 cmで、メガネを常用していることなどから、愛称は「おしゃべりメガネ」。槇原敬之やB'z[注 2]の大ファンであることも公言している。 中日ドラゴンズのファンが多数訪れる愛知県名古屋市の「中国料理ピカイチ」には、2024年時点で30年以上通っていることを公言している[5]。
来歴・人物
草野球のエース
アナウンサー職と並行しながら草野球を続けることを自らのライフワークとしており、現在名古屋市内の草野球チーム「麻婆茄子」に所属、同チームのエースとして活躍している。
2006年12月から2007年1月にかけてナゴヤドームで行われた愛知県ナンバーワンのチームを決める草野球トーナメント大会「第1回ドラゴンズ・カップ」にも出場、当初は「大会の注目を集めるための客寄せパンダだ」と揶揄されていたものの、名古屋大学時代準硬式野球部のエースとして鳴らした実績もあってか、大会では好投の連続であったが、チーム「麻婆茄子」はベスト8止まりであった。
社会人である現在の最高球速は125km/h程度。『サンデードラゴンズ』の企画で、共演者の水野裕子との結婚を賭け135km/hを目指したが達成できなかった。
CBCの解説者(現・中日ドラゴンズ1軍ヘッドコーチ兼投手コーチ)である落合英二や、東海ラジオアナウンサーの大澤広樹は草野球仲間で、それぞれのチーム同士でよく試合をする。
東京など、名古屋以外の草野球チームに単身で合流してプレーすることもたまにあると言う程の野球好きである。
バラエティ中心からスポーツ中心へ
2005年には第30回アノンシスト賞テレビ「フリートーク」部門で最優秀賞を受賞した。2006年よりCBCの看板番組『晴れドキ』の2代目司会を担当した。
2005年秋よりスポーツも担当するようになり、2005年より『若狭敬一のドラゴンズワールド WEEKEND SPECIAL』(毎週金・土曜夕方)を、2006年には『サンデードラゴンズ』の司会も担当する。2006年8月25日に野球実況のデビューはしたが、しばらく中日ドラゴンズの勝ち試合を実況できず、2007年5月17日にナゴヤドームで開催された中日対東京ヤクルトスワローズ戦でようやく勝ち試合を実況出来た。
2009年6月5日ナゴヤドームで開催された交流戦、中日対千葉ロッテマリーンズ戦でテレビ実況デビューを飾る。
野球実況をする際は自ら集めた細かいデータを用意し、実況に織り込んでいる。
2010年6月16日、ナゴヤドームでの岩瀬仁紀の250セーブ達成時の実況を担当した(J SPORTS STADIUMにて)。また、岩瀬がプロ野球新記録となる287セーブを達成した試合ではインタビュアーを務めた。
毎年、中日が1位指名すると予想される選手をドラフト会議当日に取材しているが、2017年まで5年連続で取材先の選手の抽選を外したことから、ファンの間で「指名を逃す」「指名されない」とすこぶる不評なジンクスになっており、「疫病神」とまで呼ばれてしまっていた[6][7]。地元・岐阜出身の根尾昂(大阪桐蔭高)の1位指名が予想された2018年は、厄落としとして滝行まで敢行するも、ついに根尾への取材を自粛[8](同年は柳沢彩美が取材を担当)。