若木
町丁
若木通り
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度46分14秒 東経139度40分24秒 / 北緯35.770647度 東経139.673433度 / 35.770647; 139.673433
国 日本
都道府県 東京
特別区 板橋区
地域志村地域
人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1])
人口10,696 人
世帯数5,942 世帯
面積([2])
0.528310444 km²
人口密度20245.67 人/km²
郵便番号174-0065[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート板橋
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若木(わかぎ)は、東京都板橋区の町名[5][6]。現行行政地名は若木一丁目から三丁目。全域で住居表示が実施されている。 板橋区の中央部に位置する。北で相生町、東で中台、南で上板橋、南西の一部で練馬区北町、西で西台と隣接する。町域の北辺を首都高速道路の高架橋が通じている。町域内は住宅地および中小の工場が見られる。[5]。町域は武蔵野台地成増台と荒川低地の境をなす、志村の崖線後背部に相当する。摺鉢状の谷戸地形が形成されていて、台地と低地が複雑に入り組んでいる。若木通りの国際興業バス若木三丁目停留所付近では、路上からも谷戸地形越しに東京スカイツリーが遠望できる。 住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、若木1-23-2の地点で40万円/m2、若木3-14-9の地点で36万4000円/m2となっている[7]。 廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡中台村および西台村。 町内の若木小学校に由来する。児童が若木のようにすくすく育つことを願って命名された。
地理
地価
歴史
沿革
1871年(明治4年)11月14日:浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。
1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡中台村および西台村となる。
1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字中台および大字西台となる。
1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村中台町および志村西台町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
1958年(昭和33年):板橋区立若木小学校開校。
1963年(昭和38年)11月1日:住居表示実施により、志村中台町および志村西台町、(旧)上板橋町七丁目の一部地域が若木一丁目?三丁目に再編される。
1971年(昭和46年):板橋区立若葉小学校開校。
1977年(昭和52年)8月19日:首都高速5号池袋線の北池袋出入口 - 高島平出入口が開通。
2004年(平成16年):若葉小学校閉校。
地名の由来
世帯数と人口
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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